村井純
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綜合警備保障創業者の「村井順」、「村井順 (国文学者)」、あるいはキリスト教伝道者の「村井ジュン」とは別人です。

村井純
2020年1月16日慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスにて
生誕 (1955-03-29) 1955年3月29日(69歳)
日本 東京都
国籍 日本
研究分野計算機科学
研究機関慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス
慶應義塾大学SFC研究所
慶應義塾大学サイバー文明研究センター
出身校慶應義塾大学
博士課程
指導教員高橋秀俊
渋谷政昭
斎藤信男
他の指導教員相磯秀夫
中西正和
所眞理雄
石田晴久
主な業績日本初のネットワーク間接続「JUNET」設立
インターネット研究コンソーシアム「WIDEプロジェクト」発足
インターネット網の整備、普及に尽力
初期インターネットの、日本語をはじめとする多言語対応
東南アジアの研究教育ネットワークの開発
e-Japan戦略をはじめとする日本のデジタル化への提言および施策の推進
主な受賞歴Internet Society Jonathan B.Postel Service Award (2005年)
IEEE Internet Award (2011年)
大川賞 (2012年)
Internet Society Internet Hall of Fame (Pioneers) (2013年)
フランス共和国レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ (2019年)
福澤賞(2019年)
C&C賞 (2020年)
プロジェクト:人物伝
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村井 純(むらい じゅん、1955年3月29日 - )は、日本の計算機科学者工学博士慶應義塾大学・1987年取得)。専門は情報工学コンピュータネットワーク)。慶應義塾大学教授(有期)、慶應義塾大学名誉教授JUNET設立者。WIDEプロジェクトFounder。内閣官房参与(デジタル政策担当)、デジタル庁顧問。
概要

父は、教育学者慶應義塾大学名誉教授の村井実。母は、音楽学者フェリス女学院大学名誉教授の村井範子。外祖父(母方の祖父)は、教育学者で広島大学名誉教授の長田新。その他、親族に学者が多くいる。

日本におけるインターネット黎明期からインターネットの技術基盤作り、運用、啓蒙活動等に関わり続けている。インターネットが日本国内で一般開放・商業利用された1993年にはインターネットイニシアティブ (IIJ) 特別技術顧問やJPNICの理事長に就任するなどネット普及期に貢献を続けて1995年新語・流行語大賞に「インターネット」でトップテン入賞し、受賞した[1]。「日本のインターネットの父」とされ、「ミスター・インターネット」と呼ばれることもある。英語圏では「インターネット・サムライ」のニックネームを持つ。

広域ネットワーク上で日本語を使えるようにすることにも尽力し、UNIXC言語を国際化する動きと連携をとりながら、英語中心だった初期のインターネットを多言語対応へと導いた。

1995年より東南アジアの研究教育ネットワークの開発、発展に尽力し、東南アジア各国のインターネットを牽引する研究運用人材を多数輩出。

2000年から2009年及び2012年から2021年、内閣高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部(IT総合戦略本部)有識者本部員[2] として、e-Japanの実現に向けた数々の提言と施策の推進に貢献したほか、内閣府のみならず、各省庁委員会の主査や委員を多数務める。2020年10月より内閣官房参与(デジタル政策担当)[3]。2021年9月よりデジタル庁顧問[4]

2007年8月2日総務省の諮問機関である情報通信審議会において、「コピーワンス」(デジタル放送の著作権保護方式)の代わりに子コピー9回、10回目にムーブという「ダビング10」を提案した。
経歴2007年9月15日Mozilla 24にて

1955年3月 東京都世田谷区成城生まれ[5]

1967年3月 世田谷区立明正小学校卒業[6]

1970年3月 世田谷区立千歳中学校卒業[6]

1973年3月 慶應義塾高等学校卒業[7]


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