村井澄夫
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村井 澄夫
生誕
1925年 2月
日本 富山県
所属組織 大日本帝国陸軍
陸上自衛隊
軍歴1945 - 1945(日本陸軍)
1954 - 1984(陸自)
最終階級 陸軍少尉(日本陸軍)
統合幕僚会議議長たる陸将(陸自)
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村井 澄夫(むらい すみお、1925年大正14年)2月 - )は、日本陸軍軍人陸上自衛官陸軍士官学校卒業(第58期)。第16代陸上幕僚長、第14代統合幕僚会議議長1佐までの職種は機甲科。陸幕長の在任中に防衛記念章制度が設けられる。
目次

1 略歴

2 発言

3 栄典

4 参考資料

略歴

1945年昭和20年)6月:陸軍士官学校卒業(第58期)。陸軍少尉任官

1954年(昭和29年)11月:陸上自衛隊入隊(2等陸尉

1970年(昭和45年)1月1日:1等陸佐
3月16日:自衛隊群馬地方連絡部長

1971年(昭和46年)7月16日:第13普通科連隊長兼松本駐屯地司令

1973年(昭和48年)7月16日:北部方面総監部第1部長

1974年(昭和49年)7月16日:陸上幕僚監部第1部副部長

1975年(昭和50年)7月1日:陸上幕僚監部総務課長

1976年(昭和51年)1月1日:陸将補
7月1日:陸上幕僚監部第1部長

1978年(昭和53年)1月13日:陸上幕僚監部人事部長
3月16日:東部方面総監部幕僚長兼市ヶ谷駐屯地司令7月28日:陸将

1979年(昭和54年)3月16日:第5師団

1980年(昭和55年)2月12日:中部方面総監

1981年(昭和56年)6月1日:陸上幕僚長(第16代)

1983年(昭和58年)3月16日:統合幕僚会議議長(第14代)

1984年(昭和59年)7月1日:退官

1995年平成07年)4月29日:勲二等瑞宝章 叙勲

発言

日本航空123便墜落事故で、自衛隊の救出が遅れたことを正当化しようとしたことに対して、「夜間飛行なり夜間降下などは当然日頃からやっていますよ」と反論した。

栄典

勲二等瑞宝章 - 1995年(平成7年)4月29日

参考資料

『官報』1970年01月06日 本紙 12913 人事異動

『官報』1970年03月17日 本紙 12971 人事異動

『官報』1971年07月17日 本紙 13371 人事異動

『官報』1973年07月18日 本紙 13968 人事異動

『官報』1974年07月17日 本紙 14264 人事異動

『官報』1975年07月03日 本紙 14549 人事異動

『官報』1976年01月07日 本紙 14699 人事異動

『官報』1976年07月02日 本紙 14845 人事異動

『官報』1978年01月31日 本紙 15313 人事異動

『官報』1978年03月17日 本紙 15351 人事異動

『官報』1978年07月29日 本紙 15462 人事異動

『官報』1979年03月17日 本紙 15648 人事異動

『官報』1980年02月13日 本紙 15917 人事異動

『官報』1981年06月02日 本紙 16303 人事異動

『官報』1983年03月17日 本紙 16835 人事異動

『官報』1984年07月04日 本紙 17222 人事異動

『官報』1995年05月01日 号外 82 叙位・叙勲

先代:
鈴木敏通中部方面総監
第10代:1980年 - 1981年次代:
瀧武正










統合幕僚長
統合幕僚会議議長
林敬三(陸)1954.7.1-1964.8.13

杉江一三(海)1964.8.14-1966.4.29

天野良英(陸)1966.4.30-1967.11.14

牟田弘國(空)1967.11.15-1969.6.30

板谷隆一(海)1969.7.1-1971.6.30

衣笠駿雄(陸)1971.7.1-1973.1.31

中村龍平(陸)1973.2.1-1974.6.30

白川元春(空)1974.7.1-1976.3.15

鮫島博一(海)1976.3.16-1977.10.19

栗栖弘臣(陸)1977.10.20-1978.7.27

高品武彦(陸)1978.7.28-1979.7.31

竹田五郎(空)1979.8.1-1981.2.15


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