この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
出典検索?: "村上重良"
村上 重良(むらかみ しげよし、1928年10月10日 - 1991年2月11日)は、日本の宗教学者。 東京生まれ。都立一中などを経て、1952年、東京大学文学部宗教学宗教史学科卒業。慶應義塾大学講師を務める。 日本共産党に属し、日本共産党に敵対的な創価学会および公明党を批判する著作や論文をいくつも発表していた。しかし宮本顕治が中心となって、「日本共産党と創価学会との合意についての協定」(創共協定)を1974年12月に締結したことに始まり、日本共産党指導部が宗教に対する融和的態度を示したことに反発し、「世界」1977年10月号(岩波書店発行)で、「共産主義政党と宗教 『創共協定』を再考する」という論文を発表し、宮本指導部を公然と批判したため党から除名された。 国家神道の研究で知られ、特に岩波新書の『国家神道』は国家神道論における定説として長く扱われてきた。村上によると、明治政府は神道を国教化しようとして当初から天皇を中心とする神の国を作り上げようと精力的に動き国民を神道信仰に駆り立てたという。この研究見解から村上が没する直前に行われた「平成の大嘗祭」に度々批判的な見解を表明した。近世後期の民衆の宗教史の研究者でもあり、下記の編著で、従来周知されてなかった諸宗教の解読をも行っている。 後年、神道学者の阪本是丸・新田均らによる検証により、そもそも明治政府の中にも伊勢派・出雲派などの路線対立が有り、一枚板ではなかったこと、明治期には政府による国民への神道の強制がほとんどなかったことなどから、村上の国家神道論がやや一方的だったともいわれるようになった。ただ、全体としての傾向は肯定される面もあり、宗教学者島薗進の国家神道論は岩波書店で刊行されており、村上の研究をついだ面もある。
来歴・人物
主な著書
単著
『近代民衆宗教史の研究』法藏館、1957年
『創価学会と公明党』日本文華社、1964年
『創価学会=公明党』青木書店、1967年
『近代日本の宗教者』あそか出版社、1967年
『日本百年の宗教』講談社現代新書、1968年
『近代日本の宗教』同、1980年。改訂版
『成田不動の歴史』東通社、1968年
『国家神道』岩波新書、1970年
『金光大神の生涯』講談社、1972年
『出口王仁三郎』新人物往来社、1973年
『ほんみち不敬事件』講談社、1974年
『慰霊と招魂?靖国の思想?』岩波新書、1974年
『教祖』読売新聞社、1975年
『仏立開導 長松日扇』講談社、1976年
『天皇の祭祀』岩波新書、1977年