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村上 潤(むらかみ じゅん、1956年12月31日[1][2] - )は、日本のスタントマン・アクション監督[3]。ジャパンアクションエンタープライズ所属。別名、J・ムラカミ[2]。宮城県出身[1][2]。 『キイハンター』を観て千葉真一に憧れスタントマンを志す[2][3][4][5]。高校2年生の時に『仮面ライダー』のクレジットでジャパンアクションクラブの存在を知り、オーディションを受けて合格するも、高校卒業後の入団を希望する[2][4][5]。1975年、高校卒業後にジャパンアクションクラブに第5期生として入団する[2][3][4][5]。同期には古賀弘文や横山稔がいる[2]。 1970年代後半から1980年代前半にかけて、宇宙刑事シリーズなどでスーツアクターとして活躍した[2][5]。『仮面ライダーBLACK』(1987年)以降はアクション監督として数々の作品に関わり[2][5]、『ビーロボカブタック』などではメインのアクション監督も務めた。 妻は『宇宙刑事シャリバン』で共演した降矢由美子[3]。 父親がカメラ関係の仕事を務めていたことからカメラの扱いに長けており、『秘密戦隊ゴレンジャー』では現場に8ミリカメラを持ち込んで自身のアクションの映り方を研究していた[2][4]。 若手時代は先輩からの話を聞くことを好み、酒を飲めなかったが先輩からの誘いは断らなかったという[4]。 靴のサイズが合わないと怪我のもとになると考え、衣裳では靴が足にフィットするかどうかを最も重視していた[2][4]。 元ジャパンアクションクラブの後輩の渡洋史とは同じアパートに生活していたこともある[3]。 『宇宙刑事ギャバン』では、変身前を演じる主演の大葉健二が激しいアクションをこなしていたことから、「変身したら弱くなった」と言われないよう必死であったことを述べている[4]。一方の大葉は、活動を共にしてきた村上を信頼し、演技やアクションに対して注文を付けることはなかったという[4]。村上が後年にアクション監督の金田治に自身を起用した理由を訪ねたところ、『メガロマン』で単独ヒーローを演じた経験があったからだと告げられたという[5]。
来歴・人物
エピソード