村上 智彦(むらかみ ともひこ、1961年(昭和36年)3月13日 - 2017年(平成29年)5月11日[1])は、北海道出身の医師、NPO法人ささえる医療研究所の理事長[2]。専門分野は地域医療、予防医学、地域包括ケア、チーム医療[2][3]。2012年まで医療法人財団夕張希望の杜理事長および夕張医療センター(旧夕張市立総合病院)センター長を務めた[2][4]。
診療に従事する傍ら、夕張市の破綻を背景に、40億円もの負債を抱え経営難に陥った旧市立病院の経営再建にも尽力した[4]が、自宅で発生した(本妻以外の)愛人同士による殺人未遂事件の責任をとる形で夕張希望の杜理事長を辞職した。医師の他、薬剤師や臨床検査技師の資格も持つ[5]。
経歴
1961年3月、北海道枝幸郡歌登町(現枝幸町)生まれ[4]。
1979年4月、北海道薬科大学に入学。
1986年、同大学大学院薬学研究科修士課程を修了[4]。
1987年4月、金沢医科大学医学部に入学[4]。
1993年、同大学を卒業。自治医科大学地域医療学教室に臨床派遣助手として入局。以後、静岡県南伊豆町国立湊病院や岩手県国民健康保険藤沢町民病院(現一関市国民健康保険藤沢病院)、札幌医科大学非常勤講師など経る[4][5]。
2000年6月、北海道瀬棚町に新設された荻野吟子記念瀬棚町医療センター(瀬棚町国民健康保険医科診療所)のセンター長兼所長に就任[4][6]。
2006年4月、新潟県湯沢町保健医療センター(社団法人地域医療振興協会所属)に勤務[7]。
2006年12月25日、夕張市立総合病院に応援医師(内科)として着任[8]。
2007年4月、夕張市立総合病院のスタッフ解雇を受けて[9]、社会医療法人夕張希望の杜を設立し、理事長および夕張医療センター長に就任(センター長は2009年に退任)[4]。
2012年5月9日 午前11時半ごろ村上自宅玄関で、 診療所勤務の介護士が被害女性と口論のすえ包丁で刺す殺人未遂事件が起こる[10][11]。事件直後は、「(加害者が)留守宅に無断で入るなどのストーカー的な行為が見られ、困っていた[11]」という趣旨の発言を北海道の地方ニュースなどで繰り返したが、後の裁判で被告がストーカーではなく、結婚を前提とした交際相手だったことがあきらかになり、先の発言が虚偽であった事が判明した[12]。
2012年5月22日、事件の管理責任を取り夕張希望の杜理事長を辞任[13]。
2012年、NPO法人ささえる医療研究所の理事長に就任。岩見沢市に「ささえるクリニック」を開設。医師の永森克志が院長、長男の村上浩明が副本部長として勤務。
2013年3月、「医療にたかるな(新潮新書)」出版。
2014年、3人の子の成人を待って妻と離婚。その後、先の殺人未遂事件の被害女性と再婚。
2015年12月、急性骨髄単球性白血病で余命3か月と診断された。
2016年3月に北海道大学病院に転院し、6月15日に兄の骨髄を移植した[14]。
2017年5月11日、入院先の北大病院で死去[1]。
事跡
瀬棚国保医科診療所時代、保健師が各家庭を回り保健指導を繰り返す予防医療に力を入れ、むだな投薬や検査を減らす「予防・地域包括ケア」の実践により、約140万円だった1人当たりの老人医療費を70万円台にまで改善させた[15][6]。
2005年9月の3町合併で誕生したせたな町の新町長と方針が合わないためセンター長を辞職する際[16]、辞めないでほしいという署名が旧瀬棚町の人口の約1.7倍の4,675名も集まった[17]。
2007年4月、経営破綻した夕張市立総合病院の再建策として、医療法人夕張希望の杜