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やノートページでの議論にご協力ください。村上 克司(むらかみ かつし、1942年9月23日[1][2] - )は、日本の玩具工業デザイナー[2]。岐阜県出身[1]。
元バンダイの専務であり2015年現在、株式会社ライブ・ワークス主宰[1][3]。超合金をはじめとする、デザインや商品を数多く世に送り出したことで知られる。 少年時代から絵を描くのが得意で、手塚治虫や小松崎茂に大きな影響を受けた。やがて工業デザイナーを志望し、理数系の岐阜県立岐山高等学校に入学する。 1961年に同校を卒業後、父親の反対や経済的な理由から美大への進学を断念し、バンダイに入社[1][2]。当時のバンダイには企画やデザインといったセクションが存在せず、営業部に配属された村上は工場や返品係などで玩具作りのすべての仕事をこなしつつ、就労後にデザイン画を描きアイデアを練っていた[4]。その後は仕入部研究室[注釈 1]に入り、商品やパッケージのデザインを行なっていたが、約1年後「商品開発の役に立つ」との社長命令で、2年間大阪へ営業の修行に出た。このときの経験は後の開発などの仕事に役立ったという[5]。 バンダイが子会社のポピーを設立する直前の1971年にポピーのロゴをデザインした直後、自動車デザイナーを目指すため一時退社し、フリーの工業デザイナーとして独立する。この時期には変身サイボーグ関連商品などの玩具デザインも行っていた[4][6]。 1973年、ポピーの専務・杉浦幸昌の誘いでポピーに入社し、大ヒット商品となった超合金、ポピニカ、マシンロボ、タマゴラス、TOKIMA
来歴
村上は超合金シリーズの第1号である『超合金マジンガーZ』の発案者であるため、「超合金の生みの親」として書籍などで紹介されることが多い。『超電磁ロボ コン・バトラーV』以降、自らキャラクターデザイン[注釈 2]も直接行うことが多くなり、大河原邦男らとともに「メカデザイナー」としてもアニメファンから知られるようになる。
玩具デザイン集団の必要性を提唱し、1981年にバンダイの子会社プレックスの前身のポピー企画室を発足、マシンロボシリーズや平成ウルトラシリーズ、スーパー戦隊シリーズのデザイナーであるプレックスの大石一雄もこのポピー企画室に創立時より参加した村上の最初の弟子である[7]。
1983年にポピーがバンダイと合併し、ボーイズトイ事業部へ変更された後も、長きにわたってバンダイの男児向け玩具の開発に腕を振るってきた。1984年にバンダイの専務取締役に就任し、1997年に退社[2]。
1984年以降の監修的な立場になった後でも、合体ロボットの場合は頭部のみデザインしたものもいくつか存在する(『恐竜戦隊ジュウレンジャー』の大獣神など)。メタルヒーローシリーズは『テツワン探偵ロボタック』まで主役のキャラクターのみ、ラフデザインは自身で担当している[注釈 3]。スーパー戦隊シリーズでは、『救急戦隊ゴーゴーファイブ』まで、主役のヒーローのデザインにタッチしている。