「李登輝」とは別人です。
李東輝
各種表記
ハングル:???
漢字:李東輝
発音:イ・ドンフィ
ローマ字:Yi Dong-hwi
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李 東輝(り とうき[1]、イ・ドンフィ、1873年6月20日 - 1935年1月31日)は、朝鮮の独立運動家・社会主義者。号は誠斎。
生涯(朝鮮語版
ロシア革命で恩赦を受け、共産主義思想に共鳴すると労農ロシアとの連帯を掲げ、1918年にハバロフスクで韓人社会党を組織した。韓人社会党はその後上海へ拠点を移し、1921年に高麗共産党(上海派)[4]となっている。1919年の三・一独立運動後は大韓民国臨時政府に参加し、初代軍務総長、上海での合同時では初代国務総理、副大統領などの要職を歴任した。1922年コミンテルンがワシントン軍縮会議に対抗して開催した極東諸民族大会に朝鮮代表の一人として出席するなど、労農ロシアと上海臨時政府をつなぐパイプ役として外交の辣腕を振るっていたが、ソ連からの独立援助資金をめぐる保守派との対立過程において引責辞任を余儀なくされる。
上海臨時政府との関わりを絶った後はシベリア在住朝鮮人社会の長老的存在として、民族集団をまとめあげた。1935年、インフルエンザのためウラジオストク近郊で死去した。
独立後、大韓民国政府は李東輝に建国勲章を授与した。現在も、南北朝鮮両国において尊敬されている。
脚注^ “「李東輝」”. ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典. 2022年7月13日閲覧。
^ ⇒“民軍が一体になった江華島蜂起を記憶する(?(民) ?(軍)? ??? ? ??? ??? ????)”. 江華ニュース. (2013年7月2日). ⇒http://www.ganghwanews.com/news/articleView.html?idxno=1372 2017年10月6日閲覧。
^ “ ⇒新編韓国史 近代 43巻国権回復運動” (朝鮮語). 国史編纂委員会. 2017年10月5日閲覧。
^ 金哲勲・呉夏黙らがロシアで組織したロシア共産党高麗部、のちの高麗共産党(イルクーツク派)との区別のための呼称
出典
高峻石 『朝鮮革命運動史』 社会評論社 1984年
小野容照 『韓国「建国」の起源を探る 慶應義塾大学出版会 2021年
関連項目
大杉栄
極東諸民族大会
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