李 方桂人物情報
生誕 (1902-08-20) 1902年8月20日
広東省広州市
死没1987年8月21日(1987-08-21)(85歳)
アメリカ合衆国 レッドウッドシティ
出身校清華学校・ミシガン大学・シカゴ大学
学問
研究分野言語学
研究機関中央研究院歴史語言研究所・ワシントン大学・ハワイ大学
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李 方桂
各種表記
繁体字:李方桂
簡体字:李方桂
?音:L? F?nggui
和名表記:り ほうけい
発音転記:リー・ファンクイ
英語名:Fang-kuei Li
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李 方桂(Fang-kuei Li、り・ほうけい、1902年8月20日 ? 1987年8月21日)は、中国生まれで、中華民国とアメリカ合衆国で研究を行った言語学者。アメリカ・インディアンの言語、シナ・チベット語族、タイ・カダイ語族の研究に大きな足跡を残した。単に中国の言語の研究者というにとどまらず、言語学そのものの発展に寄与した点で趙元任と双璧をなす。 李方桂は広州に生まれた。1924年に清華学校を卒業後、アメリカ合衆国に留学した。2年後の1926年にミシガン大学を卒業、翌年シカゴ大学の修士、1929年に[1]同大学の博士号を得るという猛スピードで学位を取得した。シカゴ大学ではエドワード・サピア、レナード・ブルームフィールド、カール・D・バック(英語版
生涯
1929年に中国に戻って中央研究院歴史語言研究所の研究員となり、はじめ海南島の方言を調査したが、その後中国語以外の言語の調査に研究の中心を移し、広西のタイ・カダイ語族の諸言語をはじめて学問的に調査した。1937年から1939年に渡米してイェール大学で客員教授をつとめた後、中国に戻り、貴州・四川・雲南などでフィールドワークを行った。1946年から1949年まで再びハーバード大学とイェール大学で客員教授をつとめている。中華人民共和国が成立すると帰国をあきらめてそのままアメリカにとどまり、ワシントン大学で1949年から1969年まで[2]、ハワイ大学で1969年から1974年まで教授をつとめた。その間に台湾でサオ語とアミ語の調査を行っている。
1987年にカリフォルニア州レッドウッドシティで没した。
研究内容・業績
李方桂は生涯に9冊の著書と、100を越える論文を書いている。
アメリカ・インディアンの言語の研究結果としては、カリフォルニア州北部で話されるアサバスカ系の Mattole 語(英語版
台湾の清華大学出版社から『李方桂全集』全13巻が出版されている。
脚注^ Li (1988) の序文による。1928年とするものもあるが誤りだろう
^ “ ⇒Awards & Honors (Asian Languages & Literature)”. University of Washington. 2014年12月1日閲覧。
^ 小川環樹「中国における諸民族の言語と方言」『中国語学研究』創文社、1977年、275-295頁。
参考文献
LaPolla, R. J. (2006). ⇒“Li Fang-Kuei (1902-1989)”. Encyclopedia of Language and Linguistics (2nd ed.). London: Elsevier. p. 153-154. ⇒http://publikationen.ub.uni-frankfurt.de/frontdoor/index/index/docId/14835
Li, Fang-Kuei (1988年). “ ⇒Linguistics East and West: American Indian, Sino-Tibetan, and Thai”. The Bancroft Library, University of California, Berkeley. 2014年12月1日閲覧。
1986年に8回にわたって行われたインタビューをまとめたもの。