李 孝逸(り こういつ、生没年不詳)は、中国の唐の宗室。唐の高祖李淵の従弟の淮安靖王李神通の子。 若いときから学問を好み、文章を得意とした。はじめ梁郡公に封ぜられた。高宗のとき、給事中から益州大都督府長史に累進した。武則天が政権を握ると、左衛将軍となり、信任された。
経歴
孝逸は功績により鎮軍大将軍に進み、呉国公に封ぜられ、威名はとどろいた。しかし、垂拱2年(686年)に武承嗣
らに憎まれ、讒言を受けて施州刺史に左遷された。さらに?州に流され、亡くなった。景雲元年(710年)、金州大都督の位を追贈された。