李大炯
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李 大炯(イ・デヒョン)
Lee Dae-Hyung2013年7月7日の李大炯
基本情報
国籍 韓国
出身地忠清南道保寧市
生年月日 (1983-07-19) 1983年7月19日(40歳)
身長
体重184 cm
78 kg
選手情報
投球・打席左投左打
ポジション中堅手
プロ入り2003年 2次ドラフト2巡目
初出場2003年4月5日SK戦)
最終出場2019年7月31日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


光州第一高等学校

LGツインズ(2003 - 2013)

起亜タイガース(2014)

KTウィズ (2015 - 2019)

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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

李 大炯(イ・デヒョン、1983年7月19日 - )は、大韓民国出身の元プロ野球選手、モデル。
経歴
LG時代

プロ入り当初は、代走が主だったが、2005年に107試合に出場しリーグ3位の37盗塁を記録するなど頭角を現す。

2007年は、53盗塁に成功。LGツインズの歴代盗塁数51盗塁を2つ更新し、結果的に自身初の規定打席に達し、苦手としていた打撃も初の3割を記録。タイトルも自身初の盗塁王ゴールデングラブ賞を受賞。自己最高のシーズンとなり、攻守にわたってチームの要となった。

2008年も2年連続の盗塁王になると同時に初めての全試合出場を果たす。

2009年は、3年連続盗塁王に輝き李鍾範以来となる2年連続60盗塁と、KBO初の3年連続の50盗塁の快挙を達成。

2010年は、史上6人目となる通算300盗塁を達成。自身が残した連続50盗塁・連続60盗塁の記録をさらに伸ばし4年連続盗塁王に。

2011年は負傷で戦線を離脱していた時期が長く、試合出場数が減ってしまい、5年連続盗塁王はならなかった。

2012年1月、自身の希望する額と球団提示額に大きな開きがあるため、KBO(韓国野球委員会)に年俸調停を申請したものの、球団提示額の8500万ウォンを受け入れた。同年はさらに成績が悪化した。

2013年はさらに出場機会が減り、オフシーズンの11月に初めてFAとなった。
起亜時代

2014年1月、起亜タイガースと4年契約を結んだ。彼の補償選手には申承賢が選ばれた。

2014年は起亜で2010年以来4年ぶりとなる規定打席に達し外野のレギュラーとして起用されたが、オフシーズンの11月28日、KTウィズより特別指名(他のチームより20名の保護選手以外1名ずつ指名)を受け移籍することになった。
KT時代

2015年3月28日、同年より一軍に参入したKT初の公式戦となるロッテ・ジャイアンツ戦の1回表、先頭打者で球団史上初安打を記録。

2016年にはシーズン史上最大となる600打席を記録した。

2017年シーズン終了後、2度目のFAとなりKTと2年契約を結んだ。

2018年は怪我で序盤は試合に出場できず、シーズン最終盤の10月12日にファンサービス次元で一日だけ登録された。その試合では李晋暎の代打で出場し、三振で退いた。

2019年も不振から立ち直ることができず、シーズン終了後にKTから自由契約となった[1]

KT退団後は現役続行を希望していたが契約するチームはなく、2020年4月10日に現役引退を発表した[2]
引退後

引退後は野球を離れ、モデルとして芸能活動をしている[3]
プレースタイル・人物

平凡な内野ゴロを安打に変える脚力と、高い盗塁技術を持つ快速選手で、スーパーソニックの異名をとる。しかし、打撃は通算長打率出塁率を下回っており非力で、外野守備も凡庸。


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