「李ボム浩」とは別人です。
李 大浩
Lee Dae-Hoロッテ・ジャイアンツ時代
(2017年3月27日)
基本情報
国籍 大韓民国
出身地釜山広域市
生年月日 (1982-06-21) 1982年6月21日(41歳)
身長
体重194 cm
130 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション一塁手
プロ入り2000年 KBO2次ドラフト1巡目
初出場KBO / 2001年9月19日
NPB / 2012年3月30日
MLB / 2016年4月4日
最終出場KBO /2022年10月8日 (引退試合)
NPB / 2015年10月5日
MLB / 2016年10月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
慶南高等学校
ロッテ・ジャイアンツ (2001 - 2011)
オリックス・バファローズ (2012 - 2013)
福岡ソフトバンクホークス (2014 - 2015)
シアトル・マリナーズ (2016)
ロッテ・ジャイアンツ (2017 - 2022)
国際大会
代表チーム大韓民国
五輪2008年
WBC2009年、2013年、2017年
プレミア122015年
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オリンピック
韓国
男子 野球
金2008野球
ワールド・ベースボール・クラシック
銀2009野球
WBSCプレミア12
金2015野球
イ・デホ
各種表記
ハングル:???
漢字:李大浩
発音:イ・デホ
日本語読み:り たいこう
英語表記:Lee Dae-Ho
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李 大浩(イ・デホ、韓: ???、1982年6月21日 - )は、大韓民国・釜山広域市出身の元プロ野球選手(内野手)。2008年北京オリンピック 野球 金メダリスト。 幼少期の頃に父が死去し、母とも別れ兄と共に祖母に育てられた。家庭は非常に貧しかったと語っている[1][2]。 小学生の時から野球をしており、慶南高校時代は投手兼4番としてプレー。2000年、カナダのエドモントンで行われた世界青少年野球大会に韓国代表の投手として選出される。大会では金泰均、秋信守、鄭根宇らと強力なクリーンナップを形成し、チームを優勝に導いた。大会通じての成績は打率.500(30打数15安打)、3本塁打を記録。打率はアメリカ代表のジョー・マウアーに次ぐ大会第2位の成績だった。 2001年にロッテ・ジャイアンツに入団。肩を故障していたため、野手としての入団だった。 2002年、当時の監督であった白仁天から体重の減量を命じられ、無謀な練習中に膝を怪我した。李大浩はこの時期が野球人生で一番辛かったと回想している。 2003年、前述の膝の怪我の影響で出場機会は少なかった。 2004年は一塁のレギュラーに定着。 2005年にはKBOオールスターゲーム最優秀選手賞を受賞し、公式戦全126試合に出場するなど本格的にブレークした。 2006年に首位打者、本塁打王、打点王を獲得し、1984年の李萬洙以降22年ぶり2人目となる三冠王に輝いた。得点圏打率も.398とリーグトップを記録し、一塁手としてゴールデングラブ賞を受賞した。しかし、最優秀選手投票ではチームの成績が7位と悪かったことと、打点の数が低かったことがあだとなり、投手三冠王と新人王を同時受賞した柳賢振に最優秀選手賞 (MVP) を譲った。 2007年、4月21日の現代ユニコーンズ戦では社稷野球場初となる推定飛距離150メートルの特大本塁打を記録。同年は打率.335、29本塁打、87打点、OPS1.053を記録した。 2008年は北京オリンピックの野球韓国代表に選出された。主に指名打者として起用された。アメリカ合衆国戦、日本戦(和田毅から2点本塁打)、オランダ戦で本塁打を1本ずつ記録し、大会最多タイの3本塁打を記録。大会通じて打率.360・10打点と国際大会でもその打撃力は発揮された。大会前の時点では兵役を免除されておらず、この大会でメダルを獲得すれば免除されることが決まっていたため[3]、チームの金メダル獲得によって兵役を免除された。 2009年はシーズン開幕前の3月に開催された第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の韓国代表に選出された。同大会では打率.278、打点5と目立った成績は残せなかった。 シーズンでは4年ぶりとなる全試合出場を果たした。チームは前年の3位から4位に順位を下げたこともあり、契約更改では年俸の削減対象とされたが、活躍が認められ3000万ウォンの年俸増を勝ち取った。 2010年8月14日の対起亜タイガース戦で世界記録となる9試合連続本塁打を打った。8月20日の対斗山ベアーズ戦では李承Y、沈正洙が2003年に記録して以来となる自身初のシーズン40本塁打を記録。最終的に打率.364、44本塁打、133打点で自身4年ぶり2度目(韓国球界初)となる打撃三冠王を達成。その他、安打数、出塁率、長打率、得点まで7部門でトップを記録するなど自己最高成績を収め、念願のレギュラーシーズン最優秀選手 (MVP) にも選ばれた。 2011年1月、KBOに年俸調停を申請し調停委員会が開かれたが、本人が要求した7億ウォンではなく、球団側が提示した6億3000万ウォンの年俸が通った。レギュラーシーズンでは打率.357、27本塁打、113打点、OPS1.011という好成績を残した。
経歴
アマチュア時代
プロ入りとロッテ・ジャイアンツ時代