李 元昌(り げんしょう、生年不詳 - 643年)は、中国の唐の高祖李淵の七男。漢王に立てられた。 李淵と孫嬪のあいだの子として生まれた。若くして学問を好み、隷書を得意とした。また膂力にすぐれ、騎射をよくした。 620年、魯王に封ぜられた。631年、華州刺史に任じられ、梁州都督に累進した。636年、漢王に徙封された。梁州にあって不法な振る舞いが多く、太宗はとがめて叱責したが、李元昌はこれを恨みに思って、太子李承乾に接近した。642年、長安に来朝すると、東宮に宿泊し、「殿下には早く天子となっていただきたい。今上のそばに琵琶のうまい宮人がいるが、事が成ったあかつきにはわたしに賜らんことを」と李承乾に言った。李承乾はこれを許し、臂を割いて血盟した。643年、李承乾の謀反は失敗に終わり、太宗は李元昌を誅殺するのに忍びなく、一命だけは助けようとしたが、大臣の高士廉・李勣らが厳しく反対した。太宗はやむをえず、李元昌を家で自殺させ、封国も除かせた。妻子は連座して庶民に落とされた。
経歴
伝記資料
『旧唐書』巻64 列伝第14「漢王元昌伝」
『新唐書』巻79 列伝第4「漢王元昌伝」
更新日時:2021年1月14日(木)08:16
取得日時:2021/06/23 20:57