杉浦正健
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日本政治家杉浦 正健すぎうら せいけん

生年月日 (1934-07-26) 1934年7月26日(89歳)
出生地 日本 愛知県矢作町大字東本郷(現・岡崎市東本郷町
出身校東京大学経済学部
現職弁護士
所属政党自由民主党
称号旭日大綬章(2017年)
第76代 法務大臣
内閣第3次小泉改造内閣
在任期間2005年10月31日 - 2006年9月26日
衆議院議員
選挙区(旧愛知4区→)
愛知12区
当選回数6回
在任期間1986年7月8日 - 1993年6月18日
1996年10月21日 - 2009年7月21日
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杉浦 正健(すぎうら せいけん、1934年7月26日 - )は、日本政治家弁護士自由民主党所属の元衆議院議員(6期)、第76代法務大臣。現在、小池百合子都知事の政治団体「百乃会」の代表および会計責任者を務める[1][2]
来歴・人物

愛知県矢作町大字東本郷(現・岡崎市東本郷町字荒井前)に生まれる[3]。教員だった父の奉職地の名古屋市に移り、愛知県第一師範学校附属国民学校に入学。戦争末期に故郷に疎開、矢作町立矢作南小学校に4年生から編入した[4]岡崎市立矢作中学校を経て、愛知県立岡崎高等学校に入学。高校では仲間とともに哲学研究会を立ち上げた。出隆の『哲学以前』に感銘を受ける[5]

1953年東京大学に入学。駒場寮では委員長をつとめ、寮の歴史研究会に入った。「僕らが入った頃は日共系。『資本論』だとか毛沢東の本とか『レーニン全集』とかにずうっと傾斜していきました」とのちに語っている。経済学部では山田盛太郎のゼミ生となった。父に命じられ、日本社会党参議院議員の成瀬幡治に会う。愛知県教員組合初代委員長として鳴らした成瀬は、教員時代は杉浦の父の部下であった[6][7][8]

1955年本郷に進むと、社会教育家の穂積五一が主催していた「新星学寮」に入寮。アジア各国からの留学生の世話を始める[9]1956年ハンガリー動乱が勃発。「旧ソ連軍の戦車が市民を抑える姿を見て」社会主義思想から心が離れる[6][7]

1957年3月、穂積の指導のもと東大アジア学生友好会を結成[9][10]。同年に大学を卒業し川崎製鉄(現JFEスチール)に入社するも、穂積に呼び戻され1年で退職[11]1959年8月の海外技術者研修協会(AOTS)の設立、1960年6月のアジア文化会館の設立などに参画した[9][10]。海外技術者研修協会の補助金獲得のため、毎年予算時期になると衆議院議員の安倍晋太郎の世話になったという[12][13]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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