杉浦幸
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アイドルモデルタレントの「杉浦未幸」とは別人です。

すぎうら みゆき
杉浦 幸
別名義パチドル
生年月日 (1969-04-05) 1969年4月5日(55歳)
出身地 日本 東京都東村山市
身長156
血液型AB型
職業女優女流雀士、元アイドル歌手
ジャンルテレビドラマ
活動期間1985年 -
主な作品
テレビドラマ
ヤヌスの鏡
このこ誰の子?
風雲!江戸の夜明け』代表曲
悲しいな
備考
愛称は「幸ちゃん」
元『モモコクラブ』桃組No.1173
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杉浦 幸(すぎうら みゆき、1969年4月5日 - )は、日本女優女流雀士、元アイドル歌手

デビュー当時は、株式会社ホリプロに所属していたが1990年に退社。2011年2月をもって株式会社ファイブシーズン・プロダクションを退所し、2011年3月よりフリーで活動している[1]
人物
生い立ち

1969年昭和44年)生まれ。東京都東村山市出身。出生地は東京都板橋区で、2歳の時に東村山市に転居[2]。3歳年上の兄がいる[3]
経歴

中学卒業直後の1985年(昭和60年)4月、友人に誘われて雑誌『Momoco』の素人参加コーナーに応募する[4]。当時の杉浦は美容師志望で芸能界入りへの興味はなく[3]、ほんの軽い気持ちからの応募だったという[4]。しかし、同年の『Momoco』5月号に登場し注目を集め(桃組出席番号1173番)、読者による人気投票で1位を獲得する[3]

その後、Momoco編集部預かりでグラビアの仕事をした後、ホリプロに入社[3]。同年12月、フジテレビ系の大映ドラマ『ヤヌスの鏡[5]で主役に抜擢され芸能界デビューを果たす。

翌年の1986年(昭和61年)1月には、シングル『悲しいな』でアイドル歌手としてもデビュー。同曲はオリコンのウィークリーチャートで4位となり、15万枚を売り上げた。「あ、まなざし」というキャッチコピーのもと、あどけない顔立ち、少し不安そうな切ない表情が同世代を中心に人気を得る。

Momoco』誌上では、西村知美島田奈美とともに「桃組三人娘」と呼ばれ、清純派アイドルとして扱われていた。しかし、本人曰く「デビュー前は不良」という経歴から[6]、清楚なイメージを押しつけられることに苦痛を感じていたという[7]

1990年、当時の担当マネージャーが一方的に起こしたトラブルに巻き込まれ[要出典]、それまで所属していたホリプロを退社して移籍。その後は以前からの趣味であるパチンコに傾倒し造詣を深め、パチンコ番組のMCやパチンコ雑誌への露出を増やしたことで「パチドル(パチンコ・アイドルの略称)」と称された時期もあった。

現在はバラエティー番組の活動を中心としながら、ネットラジオの出演や犬用グッズの通販会社を運営している[1]
エピソード

スポーツは苦手だったが、
リレーだけは得意だったため、運動会でアンカーを務めたこともある[3]

芸能界入りを決意したのは、中学生時代に自分をふった彼氏に「残念なことをした」と思わせたかったから、とも話している[3]

ラジオの収録中に山瀬まみを泣かせたという噂の流布について、杉浦自身は事実無根と否定している[7]。山瀬とはホリプロの同期で同い年だったということもあり、むしろ仲が良かったという[7]

アイドル時代は「桃組三人娘」の西村知美島田奈美と仲が良く、時間があると電話や家に遊びに行ったり、互いのライブを観にいくなど親交が深かった[8]

ドラマ『このこ誰の子?』に出演していた際、相手役である岡本健一のファンからカミソリやゴキブリの死骸が送られて来たことがあり、酷いときには段ボール2箱分もあった。さらに、イベントでその岡本と一緒に登場したときには「帰れ!」と罵声を浴びせられ、非常に落ち込んだという[要出典]。

ドラマ『ヤヌスの鏡』で共演した初井言榮には「(杉浦を)いじめないでください」と杉浦のファンから多くの手紙が届いた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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