自転車競技選手の「杉浦佳子」とは別人です。
すぎうら けいこ杉浦 圭子
プロフィール
出身地 日本・広島県広島市安佐南区
生年月日 (1958-11-20) 1958年11月20日(65歳)
最終学歴早稲田大学第一文学部国文学科卒業
職歴日本放送協会アナウンサー
東京アナウンス室(1981.6 - 1984.7)→大阪(1984.8 - 1986.8)→東京アナウンス室(1986.8 - 1991.7)→広島(1991.8 - 1995.7)→東京アナウンス室(1995.8 - 2007.6)→広島(2007.6 - 2013.3)→大阪(2013.4 - 2018.3)→広島(2018.4 - 2023.11)
活動期間1981年 - 2023年
(NHKアナウンサーとして)
出演番組・活動
出演経歴本文参照
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杉浦 圭子(すぎうら けいこ、旧姓・清水、1958年11月20日 - )は、日本の嘱託アナウンサー。元日本放送協会アナウンサー。 東京アナウンス室時代(1度目)(1981年春 - 1984年夏) 大阪放送局時代(1度目)(1984年夏 - 1986年夏) 東京アナウンス室時代(2度目)(1986年夏 - 1991年夏)
経歴・人物
広島県広島市安佐南区出身。広島市立八木小学校、広島女学院中学校・高等学校を経て早稲田大学第一文学部国文学科卒業後、1981年日本放送協会入局。小学校では放送委員会、中学校では放送部、大学ではアナウンス研究会に所属。
入局後は数多くのジャンルの番組を担当。特に1988年の『第39回NHK紅白歌合戦』では、女性で初めて『NHK紅白歌合戦』の総合司会を務めた[1]
自らが被爆2世であることから平和への思いは強く、被爆者、平和活動のグループなどの取材を精力的にこなし、伝えることの大切さを学ぶ。また広島東洋カープファンでも知られる。趣味は宝塚観劇。
大学時代に『週刊朝日』(1980年11月14日号)の表紙に、巫女姿で登場したことがある。
山中秀樹(元フジテレビアナウンサー)は、同郷人かつ早稲田大学の同期であり、また放送研究会でも一緒だった。杉浦は自身が『7時のニュース』を担当していた当時、山中が『7時のニュース』での杉浦のアナウンスをチェックしていて、彼から厳しいアドバイスを度々もらっていたことを明かしていた[2]。
正職員アナウンサーとしては2018年の60歳の誕生日時点で定年退職の時期を迎えていたが、2018年4月より故郷でもあるNHK広島放送局嘱託として勤務していた。しかし2023年11月30日付で42年8ヶ月在職した日本放送協会を退職。退職後は広島原子爆弾被爆者二世という自身の成り立ちを生かし、原爆の語り部として再出発することを明らかにしている[3]。
NHK時代の出演番組
テレビ気象台(1982年4月 - 1983年3月)
きょうの料理「お菓子」(1982年4月 - 1983年3月)
NHKニュースワイド(月 - 金:リポーター/土:天気キャスター、1983年4月 - 1984年夏)
ふるさと競演(クイズ出題)
第34回NHK紅白歌合戦(テレビ中継、1983年12月31日)
きょうの料理
NHKニュースワイドきんき(1985年春 - 1986年夏)
御堂筋パレード(中継キャスター)
全国女子駅伝 中継特番(キャスター)
センバツ高校野球大会 開会式(中継リポーター)
大鳴門橋開通 中継特番(キャスター、1985年6月5日)
夏季ユニバーシアード神戸大会 開会式中継(キャスター、1985年8月24日)
NHKニュース (午後7時)(1986年9月 - 1988年3月)
NHK歌謡パレード‘88(司会、1988年4月 - 1989年3月)
思い出のメロディー(司会、1988年・1989年・1990年)
NHK特集『夏服の少女たち ?昭和20年8月6日?』(ナビゲーター、1988年8月6日)
第39回NHK紅白歌合戦(総合司会、1988年12月31日)
NHK歌謡パレード(司会、1989年4月 - 1991年3月)
連続テレビ小説『青春家族』(ナレーション、1989年4月 - 9月)
第40回NHK紅白歌合戦(ブラジル・サンパウロ会場 司会、1989年12月31日)
第41回NHK紅白歌合戦(客席進行役、1990年12月31日)
古賀政男記念音楽大賞(司会)