杉山神社_(横浜市緑区西八朔町)
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杉山神社


境内
所在地神奈川県横浜市緑区西八朔町字宮前208
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度31分42.1秒 東経139度31分36.9秒 / 北緯35.528361度 東経139.526917度 / 35.528361; 139.526917座標: 北緯35度31分42.1秒 東経139度31分36.9秒 / 北緯35.528361度 東経139.526917度 / 35.528361; 139.526917
主祭神五十猛命
社格式内社(小)論社
武蔵国六宮
郷社
創建不詳
本殿の様式流造
例祭10月1日
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境内入り口

杉山神社(すぎやまじんじゃ)は、神奈川県横浜市緑区西八朔町にある神社式内社論社、武蔵国六宮。旧社格郷社

大國魂神社の「くらやみ祭」に参列しており、武州六大明神[注 1]の1つに数えられる。
祭神

主祭神五十猛命

配祀神大日霊貴命素戔嗚尊太田命

神道集』によると、当時は椙山大明神(すぎやまだいみょうじん)と称し、本地仏を大聖不動明王としている。また『新編武蔵風土記稿』によると、江戸時代には神体が不動明王の立像であったという[1]1910年明治43年)に付近の無格社神明社など4社を合祀している。
歴史

続日本後紀』に「枌山神社」(すぎやまじんじゃ)とあり、延喜式神名帳には「武蔵国都筑郡唯一の官社」として杉上神社の記述がある(ただし後述のように論社が複数存在する)。また、大國魂神社の六所明神の一所として祀られている。

創建時期は不明であるが、当社に残る棟札別当寺である極楽寺(現在も隣地に所在)の墓碑年号より当社は延宝年間(1673年 - 1681年)に現地へ遷座したものと考えられており、これ以前には西北方300mの山麓に鎮座していた[2][3]

『武蔵風土記』によると、慶安2年(1649年)8月には徳川幕府より朱印状朱印領5石6斗が与えられている[2][4]。この他、当社は江戸時代に「六ノ宮」とも称されていた[2]

1873年(明治6年)12月に郷社に列格し、1910年(明治43年)には付近の無格社神明社など4社を合祀している。さらに1920年大正9年)9月、神奈川県告示第三六二号により神饌幣帛料供進神社に指定されている。1953年昭和28年)8月には神奈川県指令第三九九〇号により、「宗教法人杉山神社」として認証された。なお、現在の社殿は1982年昭和57年)11月に改築されたものである[2][5][6]
境内

本殿 -
流造

拝殿 - 入母屋造

力石 - 江戸時代中期-明治にかけて、当社の氏子である若者がこの力石を担ぐことで力を競い合ったという。また五穀豊穣を祈願するため大山阿夫利神社へ参拝した折に、相模川河原から担がれ奉納されたとも伝えられている[7]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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