朽木村
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この項目では、滋賀県にあった村について説明しています。岡山県に町村制前にあった村については「林野町」をご覧ください。

くつきむら
朽木村
朽木スキー場


朽木村旗朽木町章

廃止日2005年1月1日
廃止理由新設合併
高島町安曇川町新旭町今津町マキノ町、朽木村 → 高島市
現在の自治体高島市
廃止時点のデータ
日本
地方近畿地方
都道府県滋賀県
高島郡
市町村コード25523-8
面積165.77 km2
総人口2,499人
推計人口、2004年12月1日)
隣接自治体大津市
滋賀郡 志賀町
高島郡 高島町、安曇川町、今津町
京都府 京都市北桑田郡 美山町
福井県 小浜市遠敷郡 上中町名田庄村
村の木スギ
村の花ヤマユリ
村の鳥ウグイス
朽木村役場
所在地520-1401
滋賀県高島郡朽木村大字市場604
外部リンク ⇒朽木観光協会
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度21分15秒 東経135度55分03秒 / 北緯35.35428度 東経135.91747度 / 35.35428; 135.91747座標: 北緯35度21分15秒 東経135度55分03秒 / 北緯35.35428度 東経135.91747度 / 35.35428; 135.91747

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朽木村(くつきむら)は、滋賀県西部(湖西)の高島郡に存在した

永らく滋賀県唯一の「村」だったが、2005年1月1日、同郡高島町安曇川町新旭町今津町マキノ町と合併して高島市となり、郡と共に廃止した。しかし合併後も「朽木」の名前を残すべく「高島市朽木○○」としている。
地理

滋賀県最西端に位置し、西は京都府、北は福井県に接する。中心地は市場。村域東部は比良山地で、西部は丹波高地の東端部である。安曇川の上・中流域を占める。朽木村一帯は朽木谷(くつきだに)とも呼ばれる。朽木村西部一帯(針畑川流域)は針畑(はりはた)と呼ばれ、山を挟んだ京都市左京区久多とも古くから交流があった地域である。
歴史

古くから、若狭国小浜京都を短絡する道、俗にいう鯖街道が縦断し、街道筋として栄えた。現在は国道367号となっている。また、「朽木の」と呼ばれ、京への木材の供給地でもあった。

朽木氏鎌倉時代から江戸時代に掛けて、朽木庄を支配していて、室町幕府奉公衆でもあった縁で、天文22年(1553年)に朽木元綱は13代将軍足利義輝細川晴元らを朽木に匿っている。

元亀元年(1570年)、織田信長朝倉攻め浅井長政が裏切った時、信長が浅井の領地である湖東を避けて朽木経由で帰郷しようとした時も元綱は信長を助け、後に家臣に取り立てられた。

昭和46年(1971年4月1日伊香郡余呉村・西浅井村、東浅井郡びわ村が町制施行して余呉町西浅井町びわ町になって以降、県内唯一の村となっていた。
沿革

1889年明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、荒川村・野尻村・市場村・宮前坊村・岩瀬村・雲洞谷村・地子原村・麻生村・柏村・古川村・大野村・村井村・栃生村・小川村・平良村・桑原村・生杉村・中牧村・古屋村・小入谷村・能家村の区域をもって発足。

2005年平成17年)1月1日 - マキノ町今津町安曇川町高島町新旭町と合併して高島市が発足。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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