朴槿恵韓国大統領弾劾訴追
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憲法裁判所付近での弾劾決定に関する反応

朴槿恵韓国大統領弾劾訴追(パク・クネかんこくだいとうりょうだんがいそつい、: ??? ??? ?? ??)は、2016年12月9日大韓民国(韓国)の国会朴槿恵大統領弾劾訴追した政治事件である。弾劾訴追の結果、憲法裁判所は朴槿恵の罷免を認める判断を下し、1987年の韓国民主化以来、初の任期途中での失職となった。また大統領弾劾訴追は2004年盧武鉉元大統領が弾劾訴追された事案に続く2例目であった。
弾劾訴追決定までの経緯
発端ソウル特別市清渓川そばの広場で行われた朴槿恵退陣要求デモ(2016年10月29日)

2016年10月24日に朴槿恵大統領の親友である民間人の崔順実が国政に関与していた、いわゆる崔順実ゲート事件が発覚し、直後の世論調査では朴槿恵政権の支持率が発足後はじめて10%台に急落[1]。朴に対する弾劾、下野も4割以上の支持を集め、インターネットや大学の学生や教授らからも弾劾要求が噴出した[2][3]野党側からは朴に対する退陣要求が起こり、11月5日、国民の党所属の鄭東泳議員は弾劾議論に着手すべきと主張した[4]。11月12日に行われた朴槿恵に対する退陣要求デモは主催者発表で100万人が集まる規模となり、政界に衝撃を与えた[5]。11月中旬には検察が朴槿恵を事実上の容疑者とした捜査計画を立てる事態となり[6]、11月20日に検察は朴自身が崔の犯行に加担したとする内容を発表し、法曹界では弾劾を行う理由として不足はないという意見が大勢を占めるに至った[7]

しかし、事件発覚直後の時点で朴槿恵の弾劾は非現実的との見方があった[2][3]ほか、弾劾を行っても事態の不確実性が増すだけで、回避しなければならないと社説で主張した報道機関も存在し[8][9]、弾劾は不可能とする意見もあった[10]。当初、野党から弾劾訴追に関する発言がなかったのは、2004年の盧武鉉大統領に対する弾劾訴追案可決後に大統領支持層が団結し、直後の第17代総選挙で野党(ハンナラ党)が敗北を喫したことが影響しているのではないかとされた[11]

その後も野党からは朴槿恵に対する自発的退陣要求が噴出し、新たに挙国一致内閣を作って国政を任せ、朴は一線から退くといった収拾案が提示されたが大統領府側はいずれも拒否した。しかし弾劾については、弾劾訴追案が仮に国会で可決されても憲法裁判所の決定に最長6カ月を要するなど時間稼ぎに使われかねないという理由から、11月中旬になっても野党側は消極的になっていた[12]。また弾劾訴追を判断する憲法裁判所の所長が2017年1月に任期を迎える予定だったことから、朴が自分に有利な所長候補を任命しようとした場合に混乱が長期化することを恐れる声もあり、朴の任期中には弾劾裁判が終わらないのではと指摘する意見もあった[7]大韓民国の憲法裁判所

こうした経緯を経て、11月下旬には野党は朴槿恵に対する弾劾訴追手続きを進めるべきとの意見も出始め[13]、野党や与党セヌリ党の非主流派が大統領弾劾手続きを行う方針を決定し、世論調査では弾劾推進に78%の支持が集まるという結果となった[14]。朴槿恵政権も分裂含みの展開となり、11月23日には金賢雄法務部長官と崔在卿青瓦台民情首席秘書官が辞意を表明した[15]ほか、与党内の主流派からも離脱が相次ぎ[16]、与党非主流派の中心であり党前代表の金武星が親朴派との決別を宣言、弾劾に突き進むことを表明した[17]。11月24日、野党側は弾劾訴追案の採決を12月2日もしくは12月9日とする方針を固めたほか、次期首相候補の指名を棚上げし、弾劾案が可決された場合には憲法の規定に基づいて黄教安首相が大統領代行を務めることも受け入れることを決定した[18][19]。また可決には国会の3分の2以上の賛成を要するため、野党の現有議席だけでは足りず、与党の非主流派に対する弾劾案採決時の意向調査も本格化させた[18]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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