朴元淳
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韓国政治家朴元淳???
朴元淳(2014年)
生年月日 (1955-02-11) 1955年2月11日
出生地 韓国 慶尚南道昌寧郡丈麻面
没年月日 (2020-07-09) 2020年7月9日(65歳没)
死没地 韓国 ソウル特別市北岳山
出身校檀国大学校大学院史学科
前職ソウル特別市長
所属政党(無所属→)
(民主統合党→)
民主党→)
(新政治民主連合→)
共に民主党
サイン
公式サイト ⇒????(ウォンスンドットコム)
第35-37代 ソウル特別市市長
当選回数3回
在任期間2011年10月27日 - 2020年7月9日
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朴元淳
各種表記
ハングル:???
漢字:朴元淳
発音:パグォンスン
ローマ字:Park Won Soon
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朴 元淳(パク・ウォンスン、???、1955年2月11日または1956年3月26日 - 2020年7月9日)は、大韓民国弁護士市民活動家政治家ソウル特別市長(2011年10月27日 - 2020年7月9日)。本貫密陽朴氏[1]

参与連帯、「美しい財団」、「希望製作所」の創設者。人権派弁護士・フェミニストと称される。日本では親中反日的な言動で知られる[2][3][4][5][6]。しかし、元秘書の女性へのセクハラ告発を受けて、失踪し、遺体で発見された[7][8][9][9][10][11][12][13][14][15][16]
経歴

1956年3月26日に慶尚南道昌寧郡丈麻面で日本統治に積極的に協力した親日的なパク・ギルボ[17] の二男五女の次男として生まれた。丈加小学校(現在は廃校となり丈麻小学校(朝鮮語版)に統合)、霊山中学校(朝鮮語版)を卒業後、ソウル京畿高等学校に入学して、1974年に卒業した。1975年にソウル大学校社会系に入学したが、入学して数ヶ月後に朴正煕政権に反対する学生運動と関連して緊急措置違反で拘束され、大学を除籍された。その後、檀国大学校史学科に再入学して卒業した。1980年、第22回司法試験に合格。司法修習の同期には、のちに第19代大統領となった文在寅がいる。1982年に検事となり、大邱地方検察庁に配属されるが6ヶ月で辞職し、翌年弁護士となる。

1986年に歴史問題研究所の初代理事長を務め、現代史に関わる。さらに韓国の代表な市民運動団体である「参与連帯」の創設に関与、同連帯において執行委員及び運営委員を務めたほか、政策シンクタンク「希望製作所」理事なども務めた。2000年12月の女性国際戦犯法廷民衆法廷)では、韓国代表の検事として昭和天皇を10万人以上の韓国人女性を日本軍慰安婦として強制連行虐待した罪で起訴している[18]。参与連帯事務処長をつとめていた2000年当時に行われた第16代総選挙において落選運動を主導するなど、行動派の弁護士として知られる。

2011年10月26日に行われたソウル市長補欠選挙に無所属野党統一候補として立候補して当選を果たし、第35代ソウル市長に就任した。2012年2月、民主統合党(2013年5月、「民主党」に党名改称)に入党[19]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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