朱 国禎(しゅ こくてい、1557年 - 1632年)は、明代の官僚。字は文寧、号は平涵。本貫は湖州府烏程県。生涯1589年(万暦17年)、進士に及第した。翰林院編修・翰林院侍読・右諭徳を歴任して、国子監祭酒となったが、病を理由に官を辞し、郷里に帰って引きこもった。1621年(天啓元年)、礼部右侍郎に抜擢されたが、上京しなかった。1623年(天啓3年)1月、礼部尚書・兼東閣大学士に任じられ、顧秉謙・朱延禧
1589年(万暦17年)、進士に及第した。翰林院編修・翰林院侍読・右諭徳を歴任して、国子監祭酒となったが、病を理由に官を辞し、郷里に帰って引きこもった。1621年(天啓元年)、礼部右侍郎に抜擢されたが、上京しなかった。1623年(天啓3年)1月、礼部尚書・兼東閣大学士に任じられ、顧秉謙