朱印
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この項目では、朱肉の印章全般、特に戦国時代から江戸時代におけるものについて説明しています。

神社仏閣で参拝者に押されるものについては「朱印 (神社仏閣)」をご覧ください。

戦国時代から江戸時代において朱印を用いた公的文書については「朱印状」をご覧ください。

徳川家康オランダとの通商許可証として発行した朱印状(1609年8月24日付)

朱印(しゅいん)とは、朱色印肉朱肉)を用いて押印した印章のことである。

広義では朱肉により押された印章全般を指すが、中でも特に日本の戦国時代から江戸時代にかけて書類に用いられたもの(あるいは、その書類自体)、もしくは現代日本での神社仏閣において参拝者向けに押されるものを指す。なお、敬称として御朱印(ごしゅいん)と呼ぶこともある。[1]
戦国時代から江戸時代においての朱印

日本の戦国時代から江戸時代にかけて、将軍大名武将などが、命令・承認などを目的とした公的文書に朱色の印章を用いた。その文書を朱印状と呼び、朱印状自体を略して俗に「朱印」と呼ぶこともあった[1]

律令制公文書及び公式様文書において用いられた印は朱印のみであり、黒印は私的な蔵書印などに用いられたのみであった。

そのため、正式な書類に押す印は朱印であると考えられ、戦国時代印判状が登場したときも当初は黒印状が先に出されていたが、後に朱印状が登場するようになると、公式かつ重要な文書は朱印を押した朱印状で発給される例が多くなる。

これは織田信長徳川家康が重要な文書は朱印状で、私信や雑務的な文書には黒印状を用いて分け、更に彼らの家臣達が遠慮して専ら黒印状を用いたことが大きい。

ただし、朱印状と黒印状の境界線は必ずしも明確ではなかった。もっとも、朱印が用いることが可能であったのは武士などの支配階級に限られ、農民や町人は黒印のみしか用いることが出来なかった。明治元年(1868年)9月に農民や町人の朱印使用が認められるようになると、次第に朱印が広く用いられるようになった。

なお、中世においては他者との差別化を図るために朱印に代わって黄色などの印判が押された文書も存在する。また、書画などの落款は必ず朱印で行う慣例となっている。
現代の神社仏閣における朱印詳細は「朱印 (神社仏閣)」を参照
脚注^ a b 松村明『大辞林』三省堂(2008年)

参考文献

荻野三七郎「朱印」(『国史大辞典 7』(吉川弘文館、1986年)
ISBN 978-4-642-00507-4

荻野三七郎「朱印」(『日本史大事典 3』(平凡社、1993年) ISBN 978-4-582-13103-1

関連項目

黒印

黒印状

朱印状

領知朱印状

朱印地・黒印地


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