札幌東宝公楽
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この項目では、北海道札幌市にあった「東宝公楽」について説明しています。京都府京都市の「東宝公楽」については「東宝公楽 (京都市)」をご覧ください。

札幌東宝公楽
Sapporo Toho Koraku
札幌大映劇場(1955年)
情報
正式名称札幌東宝公楽
旧名称

美満寿館

札幌大映劇場

東宝公楽劇場

札幌東宝劇場

完成1921年
開館1921年
閉館2010年8月31日
最終公演『ALWAYS 三丁目の夕日
収容人員470人
設備ドルビーステレオ
用途映画上映
運営北海道東宝株式会社
所在地064-0805
札幌市中央区南5条西3丁目6-1
東宝公楽会館ビル3階
最寄駅札幌市営地下鉄南北線すすきの駅
札幌市電すすきの停留場
最寄バス停じょうてつバス「すすきの」停留所(旧ススキノラフィラ向かい)
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札幌東宝公楽(さっぽろとうほうこうらく)は、かつて存在した日本の映画館である。所在地は札幌市中央区南5条西3丁目、北海道東宝株式会社が経営・運営した。旧名称美満壽館(みますかん)、札幌大映劇場(さっぽろだいえいげきじょう)、東宝公楽劇場(とうほうこうらくげきじょう)、札幌東宝劇場(さっぽろとうほうげきじょう)。
沿革

1921年大正10年) すすきの一帯の地域おこしのため、地元有志の提唱により美満壽館を設立、開場する。

1949年昭和24年) 札幌大映劇場に改称され、大映の封切館となる。

1955年(昭和30年) 東宝の直営館となり、館名を東宝公楽劇場に改称。

1970年(昭和45年)12月5日 改築され、ビルの3階に札幌東宝劇場として再開場された。

1974年(昭和49年) 札幌東宝公楽に改称。

1995年平成7年) 7月1日さっぽろ映画祭リターンズ'95」が開催される。

2009年(平成21年)8月1日 施設管理者の札幌公楽興業株式会社が東宝株式会社に吸収合併される[1]

2010年(平成22年) 8月31日 閉館。

2015年(平成27年)12月4日 跡地に「ラウンドワン札幌すすきの店」がグランドオープン[2][3]

データ

所在地:北海道札幌市中央区南5条西3丁目6番地1
[2]

運営

東宝北海道興行株式会社(1962年 - 1970年)

北海道東宝株式会社(1970年 - 2010年)


施設管理者:札幌公楽興業株式会社(1946年12月23日 - 2009年8月1日[1]

座席数:998席(1955年 - 1969年[4])→536席(1970年 - 1993年頃)→ 470席(1994年頃 - 閉館まで)

略歴・概要
美満壽館時代北海タイムス』1927年4月22日付に掲載された同館の広告。

1921年(大正10年)、札幌区南5条西3丁目[注 1](現在の札幌市中央区南5条西3丁目)に美満壽館として設立される。大正末年の1920年代には、札幌市内の映画館は、同館のほか、錦座帝国館中央館遊楽館金春館、松竹館、エンゼル館、八二館の8館が存在した[5]

1927年(昭和2年)4月22日付『北海タイムス』に同館が出した広告によれば、ユナイテッド・アーティスツが1924年(大正13年)に製作したD・W・グリフィス監督の『素晴らしき哉、人生!』、日活大将軍撮影所が製作し同年2月9日に東京では公開されていた内田吐夢監督の現代劇『競走三日間』、同じく同年1月28日に東京では公開されていた中山呑海監督の時代劇『愛闘苦闘』が2か月遅れで上映されている[6]。同年の時点では、札幌市内の映画館は、同館のほか、九島興行の中央館、遊楽館、三友館(のちの日活館)、および盛賑館松竹座、エンゼル館、別当興業の美登喜館、八二館の8館が存在しており[7]、3年後の1930年(昭和5年)時点でも変わらなかった[注 2]。当時同館専属の活動弁士に、作家の小林多喜二と親交があった五條楓声がいた[9]。1928年(昭和3年)5月10日には、樺太庁豊原高等女学校の4年生が修学旅行を行った際、美満壽館で活動写真を観賞した記録が残っているが、稚内北星学園大学の資料では、女学生達が観賞した作品については触れられていない[10]

第二次世界大戦終戦から4年後の1949年昭和24年)、札幌大映劇場に改称され、大映の封切館となったが[注 3]、その後、同館の東宝による買収にあたり、「札幌大映劇場」は北4条西3丁目に移転した(1974年閉館)。
東宝系の劇場

ライバル館「東宝日本劇場」が南1条西1丁目に開業した翌年の1955年(昭和30年)、東宝の直営館となり、館名を東宝公楽劇場に改称。同時に座席数100席ほどの名画座「公楽文化劇場」を併設。日本アート・シアター・ギルド作品も上映していた[12]。全国の映画館数がピークを迎えた1960年(昭和35年)、札幌市内の映画館は51館に達し、そのうち南5条方面には当館2スクリーンと札幌新東宝劇場(2丁目)の計3館があった[注 4]

1969年(昭和44年)、大正期の開館以来の建物を取り壊し、翌1970年(昭和45年)12月5日に地下2階・地上7階建てのビルディングに改築、3階に札幌東宝劇場として再開場する。このころには、エンゼル館と松竹座はすでになく(前者は1968年、後者は1970年閉館)、須貝興行[注 5]は旧・札幌劇場の跡地に須貝ビル(後のディノス札幌中央)を建設(1968年)。南4条西3丁目にあった札幌日活劇場はロマンポルノ上映館へと転向(1971年 - 1988年)している。

1974年(昭和49年)、館名を札幌東宝公楽に再改称、東京の千代田劇場→日劇東宝→日劇2→TOHOシネマズ日劇(スクリーン2)系列の邦画ロードショー館となった。定員470人(改築当初は536人)。東宝日劇(552席)閉館後は道内にある東宝系映画館(シネコン含む)の中でも最大規模を誇る映画館となっていた。デジタル音響は非対応。劇場正面に手書きの映画看板を掲げていた道内最後の映画館であった。

1995年平成7年)7月1日には『さっぽろ映画祭リターンズ'95』が行われ、同映画祭で上映された『119』の監督を務めた俳優・竹中直人が訪れ舞台挨拶を行った。また2002年(平成14年)10月5日封切の『明日があるさ THE MOVIE』では、同作出演の東野幸治山田花子ロンドンブーツ1号2号が舞台挨拶で来館している[14]


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