札幌拘置支所
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札幌刑務所 > 札幌拘置支所敷地外から

札幌拘置支所(さっぽろこうちししょ)は、札幌刑務所札幌矯正管区)所管の刑事施設。札幌刑務所に隣接している[1]

1880年明治13年)に開設され、2001年平成13年)に新庁舎が新築された[2]
所在地

北海道札幌市東区東苗穂2条1丁目5番2号[3]

収容人員

322人
[2]

死刑確定者

2021年令和3年)9月20日時点で[4]、本施設には以下の死刑確定者死刑囚)が収監されている。ただし死刑執行施設(刑場)は本施設ではなく、隣接する札幌刑務所内にある[1]

大森勝久北海道庁爆破事件の死刑囚:現在74歳) - 1994年(平成6年)7月15日に最高裁第二小法廷大西勝也裁判長)で上告棄却判決を受け[5]死刑判決確定[6]。一貫して無実を主張[6]。死刑確定後、2021年12月までに札幌地裁へ3度の再審請求を行ったが、いずれも棄却されている[7]

なお、裁判員制度施行(2009年5月)以降に起訴された死刑囚は収監されていない。
過去の死刑囚

かつて本施設に収監されていた死刑囚のうち、死刑を執行された死刑囚や、獄死・恩赦などによって死刑を執行されなかった死刑囚

H夫婦(夕張保険金殺人事件の死刑囚夫婦) - 2人とも1987年(昭和62年)3月9日に札幌地裁(鈴木勝利裁判長)で死刑判決を受け、札幌高裁控訴していたが、1988年10月11日付で控訴を取り下げ、死刑が確定した[8]。これは恩赦を期待したものだったが、その期待に反して恩赦はなされず、1997年8月1日に死刑執行(夫は54歳没、妻は51歳没)[8]。なお、妻は戦後4人目の女性死刑囚である[9]

男HH(空知連続殺人事件の死刑囚)[10] - 1972年(昭和47年) - 1974年(昭和49年)にかけ、北海道の空知管内で殺人・強姦致死事件2件と、強姦致傷事件1件を犯した[注 1][10]。「証拠は違法捜査による自白のみで物証がない」として無罪を主張したが、1990年(平成2年)9月13日に最高裁(角田礼次郎裁判長)で上告棄却判決を受け[12]、同年10月25日に死刑が確定[13]。1992年(平成4年)に再審請求したが、特別抗告中の2003年(平成15年)8月にスキルス性胃癌と診断され、2004年(平成16年)6月4日に癌性悪液質のため、札幌刑務所の病舎内で病死(70歳没)[14]

男OK(平取事件の死刑囚)[15] - 1979年(昭和54年)7月18日[6]日高振興局管内の沙流郡平取町で、剥製業者一家4人を射殺した[15]。1993年(平成5年)12月20日に最高裁(大野正男裁判長)で上告棄却判決を受け、死刑が確定[6]。1999年(平成11年)11月8日、入浴中に貸し出された剃刀で右頸部(頸動脈)を切り、自殺した(55歳没)[注 2][15]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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