札幌ラーメン(さっぽろラーメン)は、北海道札幌市発祥のラーメン一般を指す通称である。ご当地ラーメン(ご当地グルメ)の一つ。 札幌におけるラーメンの元祖は、中華料理店「竹家食堂」が1922年にはじめた「肉絲麺」(ロゥスーミェン)といわれる[1][2]。竹家では、中国山東省出身の王文彩が手延べ麺を茹でてスープに入れるという作りを生み出し、当時は「拉麺」とも呼ばれていた[3]。王は1924年に竹家を去るが[1]、後任の李宏業や李絵堂(李彩)らによって日本人向けの味に改良され、好評を博していく[1][4]。 昭和初期の札幌市内には約10軒の中華料理店があり、各店では中国人料理人の自家製麺によるラーメンが提供されていた[5]。また、喫茶店や一般の食堂などにもラーメンをメニューにした店が多く[5]、喫茶店では1杯10銭のコーヒーとともに、1杯15銭のラーメンが売れていたという[5]。これらの店に麺などの材料を卸していたのは、狸小路の「万福堂」の店主・王万世や市内の僧侶・吉田某といった者達であった[6]。王は1937年の日中戦争後に帰国するが、戦前の札幌にラーメン文化の種を蒔いた人物として、「竹家食堂」の王らとともに今に記憶されている[6]。 当時のラーメンは「手ぶみ式」と呼ばれた手打ちの麺に、鶏ガラや貝類でダシを取り、ラードや胡椒などで味付けした塩味のスープが主流であった[6]。しかし、太平洋戦争下での物資統制による原料不足で、竹家をはじめすべての店が姿を消した[7]。現在、のれん分けした「竹家」が兵庫県神戸市灘区で営業を継続している[8]。 現在のスタイルは、終戦直後の1946年頃に満州などからの引き揚げ者達が薄野の屋台で作った、豚骨から煮出した濃いスープによるラーメンが源流である[9]。その元祖は1946年に松田勘七が開業した「龍鳳」といわれ[9]、翌年西山仙治が開業した「だるま軒」とともに人気店となった[9]。東京で中国料理の修業をした西山は製麺技術の高さに定評があり、「龍鳳」など他の店の麺作りも手がけるようになった[9]。 1951年には「龍鳳」など8店による「公楽ラーメン名店街」が誕生し、初代「札幌ラーメン横丁」とされることもある[10]。「龍鳳」などは醤油味が中心であり[9]、1960年頃までは札幌ラーメンは醤油味が主であった[11]。
歴史