札仙広福(さっせんひろふく[1][2]、さつせんひろふく[3])は、日本の地方中枢都市である札幌市(北海道)、仙台市(宮城県)、広島市(広島県)、福岡市(福岡県)の4市をひとまとめにして表す言葉[4]。1970年代後半頃から都市工学界などで使用され始めた[5]。 日本を三大都市圏と地方圏に分けた場合、地方圏における都市類型の1つとして、「札仙広福」との頭字語がある。それは、札幌市(.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯43度3分43.2秒 東経141度21分15.6秒 / 北緯43.062000度 東経141.354333度 / 43.062000; 141.354333 (札幌市)
概要
高度経済成長期にあたる1969年策定の新全国総合開発計画(新全総)では、札幌都市圏、仙台都市圏、広島都市圏、福岡・北九州都市圏(福岡都市圏および北九州都市圏)の4つの都市圏が、東京・大阪・名古屋の三大都市圏に次ぐ「地方中枢都市圏[6]」とされており、これら4都市圏を指して札仙広福とする場合もある[† 1]。 札仙広福の各都市の市域において、当地が現在の名前となった年とそのきっかけとなった出来事、市制施行された年、政令指定都市となった年を示す。 都市命名(年)きっかけとなった出来事市制施行(年)政令指定都市化(年) 明治維新から1世紀弱後、「工業開発」と「中枢管理機能論[† 2]」を理論的柱とする[7]全国総合開発計画(全総。1962年策定)により、六大都市(旧東京市・横浜市・名古屋市・京都市・大阪市・神戸市)が、工業および中枢管理機能の両者を充実して高度経済成長し、三大都市圏へと成長する一方、工業にあまり依存せずに中枢管理機能の充実により高次都市機能を得たのが、札仙広福であった[† 3]。 札仙広福は、明治以来の政治的中枢管理機能の集積、各地方に詳しい地元流通業者の存在、そして、その地理上の位置が各企業に注目されて、販売およびアフターサービスのための拠点的支所(支店)が置かれ、本社機能があまりない経済的中枢管理機能の集積が進んだ[5]。このため「支店経済都市」とも呼ばれる[† 3]。この傾向により、三大都市(東京都区部・名古屋市・大阪市)、札仙広福、その他の都市という3階層性が、1970年(昭和45年)に行った統計を分析することで明確となり[5]、高度経済成長期が終わって安定成長期に入った1970年代後半以降に「札仙広福」という用語が広く使用されるようになった[5]。 高度経済成長を牽引した四大工業地帯(京浜・中京・阪神・北九州)では、前3者の中心都市(東京・名古屋・大阪)が三大都市圏でも同様に中心都市へと成長していった。残る北九州工業地帯ではプライメイトシティが無く、関門六市が互いに並列していたが、これら6市のうち福岡県内に位置する5市が合併して1963年(昭和38年)に北九州市(北緯33度53分0.2秒 東経130度52分30.7秒 / 北緯33.883389度 東経130.875194度 / 33.883389; 130.875194 (北九州市)
経緯
1/札幌市1869年開拓使が置かれ、当地を石狩国札幌郡とした1922年1972年
2/仙台市1601年伊達政宗が居城を千代城に決めて縄張りを始め、仙臺城に改名1889年1989年
3/広島市1589年毛利輝元が居城を新規築城する際、廣嶋城と命名1889年1980年
4/福岡市1601年黒田長政が居城を新規築城する際、縁の備前国福岡に因んで福岡城と命名1889年1972年
1940年(昭和15年)と1947年(昭和22年)の国勢調査における現市域にあたる人口を比べると、北九州市は原爆被害を受けた広島市より大きく人口を減らしたが、それでも「札仙広福」より人口が多い大都市として復活した。また、三大都市圏以外で初の政令指定都市であり、1970年(昭和45年)国勢調査まで「札仙広福」4市のいずれをも圧倒していた。国調人口において「札仙広福」4市が北九州市を抜いたのは、1975年(昭和50年)の札幌市が初であり、以後、1980年(昭和55年)に福岡市、1990年(平成2年)に広島市、2005年(平成17年)に仙台市が各々抜いた。なお、「札仙広福」4市が現在のような「札・福・広・仙」の国調人口順になったのは1975年(昭和50年)以降であり、それ以前は順番の入れ替わりが何度もあった。
国勢調査人口の変遷「都道府県庁所在地と政令指定都市の人口順位」および「日本の市の人口順位」も参照 札幌市 福岡市 広島市 仙台市 北九州市
国勢調査人口(単位:万人)[8][9]
現市域にあたる地域の国勢調査合算値(単位:万人)[8]
札仙広福の変化「都心#地方中枢都市圏」も参照
「札仙広福」は、4市あるいは4経済地域の頭文字を北から順に列挙して命名されているが、中枢管理機能の集積度で比べると順序は異なってくる[5]。 支社数で見ると、1970年(昭和45年)には通勤圏(都市圏)人口に等しい、福岡>札幌>広島>仙台という順番であったが、現在では福岡市がその他の3市から抜きん出た存在になっている。また、長らく4市中最下位だった仙台市が、1989年(平成元年)の政令指定都市化に伴って1990年(平成2年)以降4市中第2位の位置に定着している。他方、札幌市が1990年(平成2年)以降最下位に転落し、2005年(平成17年)には広島市が入れ替わりで最下位になったものの、2006年(平成18年)の調査では、福岡市(1,075所)、仙台市(871所)、広島市(773所)、札幌市(704所)の順に戻った[5][10]。 支社数の福岡>仙台>広島>札幌という順は、九州7県、東北6県、中国5県、北海道1道という背後ブロック圏の人口や経済規模の順と同じである[10]。これは、支社の管轄エリアが、地方中枢都市の通勤圏(都市圏)から、背後ブロック圏(経済圏)へと拡大したためと見られている[10]。なお、広島の経済的中枢管理機能の相対的低下は、中国地方が大阪と福岡により分割して管轄される例が出てきたこと[5][11]、あるいは、1988年(昭和63年)の瀬戸大橋や接続高速道路等の供用開始で東瀬戸経済圏が興隆したことを原因と見る向きがある。
支社数