本間昭光
[Wikipedia|▼Menu]

本間 昭光
別名ak.homma
生誕 (1964-12-19)
1964年12月19日(59歳)
出身地 日本大阪府八尾市
ジャンルJ-POP
アニメ音楽
劇伴
サウンドトラック
職業音楽プロデューサー
作曲家
編曲家
キーボーディスト
担当楽器ピアノ
シンセサイザー
エレクトリックピアノ
事務所株式会社イソラブル(isolablu)
共同作業者田村充義
ポルノグラフィティ
Vink
他多数
公式サイト本間昭光 Akimitsu Homma オフィシャルウェブサイト

本間 昭光(ほんま あきみつ、1964年12月19日 - )は、日本ミュージシャン作曲家編曲家音楽プロデューサー[1]大阪府八尾市出身。株式会社イソラブル(isolablu)代表。別名義にak.hommaがある。
人物

アーティストの楽曲提供やアレンジ、プロデュースを中心に活動し、レコーディングやライブの際は主にキーボードの演奏を行う。

初めてシンガーソングライターとの関わりを持ったのは槇原敬之で、槇原のヒット曲「もう恋なんてしない」は当時失恋した本間のために槇原が作った楽曲である[2]

1990年代には広瀬香美のプロデュースを手掛け、並行して広瀬と共同で様々なアーティストへ楽曲提供を行った。また、初期の浜崎あゆみのサウンドプロデュースを手掛けていた。

ポルノグラフィティでは、1999年のメジャーデビュー時から2011年まで、自身の提供曲、及びメンバーによる作曲を含むほぼ全ての楽曲において「ak.homma」名義で編曲・プロデュースを手掛けていた。また、2006年から2009年までの間に行われたライブではバックバンドに参加し、バンドマスターも務めていた。その後2011年にポルノグラフィティの制作体制が一新され、プロデューサーから退いた現在もメンバーの岡野昭仁新藤晴一からの相談に乗ったり、若手のアレンジャーに助言したりする形で携わっている[3]

いきものがかりでは、サウンドプロデュースの他、ほとんどのコンサートやイベント等にキーボーディスト兼バンドマスターとして参加する。また2010年に編曲を手掛けたNHK連続テレビ小説ゲゲゲの女房」の主題歌「ありがとう」が大ヒットを記録し、彼らの代表曲となった[4]

歌手の天童よしみは同じ八尾市出身で本間の実家と天童の実家が歩いて行ける近所で小学校と中学校の先輩である。その縁から天童のオファーで2022年11月16日発売の50周年記念オリジナルアルバム『帰郷』をプロデュースした。
経歴

※オフィシャルサイトのプロフィール等を参照[1][5]

4歳よりピアノを始める。大阪府立八尾高等学校時代にアマチュアバンドでキーボードを担当し、ライブハウスでの演奏や各コンテストでベストキーボード賞の受賞をきっかけに、大阪のヤマハで所属アーティストバックメンバーとして活動する。

1985年関西学院大学経済学部入学。

1988年松任谷正隆主宰のマイカ音楽研究所に入学、作曲とアレンジを学ぶ。

1989年、上京と同時に音楽事務所「ハーフトーンミュージック」に所属。杉本理恵の楽曲アレンジや工藤静香WINK原田知世のTVやライブのサポートミュージシャンなど、アイドルを中心にキーボーディストとアレンジャーとして本格的に音楽活動を開始。

1991年槇原敬之のコンサートにキーボーディストとして参加。1998年までライブアレンジとバンドマスターを担当する。

1995年、テレビアニメ『スレイヤーズ』シリーズ(1995 - 1997年放送)の劇伴を矢吹俊郎大平勉とのユニットVinkとして担当。

1996年5月、元所属事務所である「有限会社ブルーソファー(bluesofa)」の設立に参加。同年、広瀬香美の楽曲「DEAR...again」「promise」などを広瀬と共に編曲。

1999年、別名義ak.hommaとしてポルノグラフィティの作・編曲を担当し、自身初となるトータルプロデュースを行う。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:94 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef