本西厚博
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本西 厚博ハナマウイ野球部 監督 #78
楽天コーチ時代
(2011年8月30日、こまちスタジアム
基本情報
国籍 日本
出身地長崎県長崎市
生年月日 (1962-05-15) 1962年5月15日(61歳)
身長
体重175 cm
76 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション外野手三塁手
プロ入り1985年 ドラフト4位
初出場1987年4月10日
最終出場2001年10月2日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴


瓊浦高等学校

三菱重工長崎

阪急ブレーブス
オリックス・ブレーブス
オリックス・ブルーウェーブ
(1987 - 1997)

阪神タイガース (1997 - 1998)

日本ハムファイターズ (1999)

千葉ロッテマリーンズ (2000 - 2001)

監督・コーチ歴


千葉ロッテマリーンズ (2002)

千葉熱血MAKING

東北楽天ゴールデンイーグルス (2010 - 2012)

ロッテ・ジャイアンツ (2014 - 2015)

信濃グランセローズ (2016 - 2018)

ハナマウイ女子硬式野球部

ハナマウイ

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本西 厚博(もとにし あつひろ、1962年5月15日 - )は、長崎県長崎市出身の元プロ野球選手外野手内野手)。野球解説者プロ野球コーチ
経歴
プロ入り前

私立瓊浦高等学校では投手として1980年夏の第62回全国選手権大会に出場。1回戦で東北高等学校中条善伸と投げ合うが0-4で完封負けを喫する。

高校卒業後は、社会人野球三菱重工長崎に進み、内野手へ転向。1981年から都市対抗に3回出場、1985年1986年の大会ではNTT九州に補強され、チャンスメーカーとして活躍した。国際大会では1985年の第13回アジア野球選手権大会、第7回インターコンチネンタルカップの日本代表に選出される。

1985年度ドラフト会議にて阪急ブレーブスから4位指名を受け、翌年のシーズン後に入団。
プロ入り後

1987年(1年目)より一軍に定着。外野守備の名手として知られ、外野だけでなく三塁を守ることもあった(三塁手のレギュラーである松永浩美が離脱した時はスタメンで起用された)。

1989年ゴールデングラブ賞を受賞。同年は規定打席不足ながら打率.302を記録するなど、打撃でも活躍した。5月26日の近鉄戦では吉井理人からサヨナラヒットを放っている。また、1991年には自身唯一の規定打席到達を果たした。

1994年には、当時レギュラーに定着してからまだ日の浅かった田口壮イチローに外野守備の指導を施し、本西も含めた同外野手トリオは当時球界一の守備力と言われた。なお、イチローは盟友だという。

1997年シーズン途中、金銭トレードで阪神タイガースへ移籍。8月12日のヤクルト戦では山本樹から代打満塁逆転本塁打を放った。

1998年シーズンに阪急・オリックス時代の同僚だった古溝克之とともに戦力外通告の後に2人揃って金銭トレードで恩師の上田利治が監督を務める日本ハムファイターズに移籍。

1999年に再び戦力外通告を受けた。同年のシーズンオフに千葉ロッテマリーンズにテスト入団し、ロッテでも守備固めとして活躍し、時には三塁でスタメン出場もしていた(三塁手のレギュラーである初芝清の守備に不安があった為)。

2001年オフに現役を引退。
引退後

2002年にロッテで二軍内野守備・走塁コーチを務め、同年に退団。プロ野球マスターズリーグでは大阪ロマンズに参加し、好成績を収めた。その後、NHK・BSメジャーリーグ中継やJ SPORTS(主にロッテ、オリックスの主催ゲーム)で解説をしていた。ネットラジオ放送(オンエアーステーション)では初のイースタンリーグ中継が行われた際に解説を担当した。また社会人野球クラブチーム千葉熱血MAKINGのヘッドコーチも務めていた。

2010年東北楽天ゴールデンイーグルスの一軍外野守備走塁コーチ(三塁ベースコーチ)に就任。

2011年5月16日から一軍打撃コーチ補佐を務め、6月5日に一軍打撃コーチに昇格した。

2012年は一軍外野守備走塁コーチに復帰したが、同年シーズン終了を以って解任。

2013年、1月から3月まで韓国プロ野球ロッテ・ジャイアンツの春季キャンプで走塁などのインストラクターを務めた。2013年からFOX SPORTS ジャパン、NHK・BSのメジャーリーグの解説を担当。同年10月30日、ロッテ・ジャイアンツの一軍作戦走塁コーチに就任した。2015年から二軍打撃コーチを務め、同年限りで退団。

2016年独立リーグベースボール・チャレンジ・リーグ信濃グランセローズ監督に就任[1]

2017年に、チーム創設以来初のリーグ優勝を達成した[2]2018年前期は僅差で優勝を逃し、後期は3位に終わり、9月17日に同年限りでの退任が発表された[3][4]

2019年からはJ SPORTSのMLB中継の野球解説者として活動する。また、同年には女子野球のハナマウイの助監督に就任した[5]

2020年より社会人野球クラブチームハナマウイの監督に就任した。創部2年目のチームを都市対抗予選初出場で本戦出場の快挙を成し遂げた[6]


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