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本田 路津子
生誕 (1949-01-06) 1949年1月6日(75歳)
出身地 日本・福岡県大牟田市
学歴桜美林大学文学部英文科卒業
ジャンルフォークソング
ゴスペル
職業歌手
担当楽器歌
活動期間1970年 - 1975年
1988年 -
レーベルCBSソニー
本田 路津子(ほんだ るつこ、1949年〈昭和24年〉1月6日 - )は、日本の元フォークシンガー、現ゴスペルシンガー。
福岡県大牟田市出身。 福岡県大牟田市出身だが、その後、家族(当時両親、妹)と共に新潟県に転居し、桜美林高等学校入学と同時に東京都町田市に単身で転居。その後、桜美林大学文学部英文科に進学。 路津子の名前の由来は、両親がキリスト教徒であったので(本人は結婚するまでキリスト教徒ではなかった)、旧約聖書の「ルツ記(英語ではルース)」に出てくるボアズの誠実な嫁ルツから取った。本来のキリスト教での表記は「路律」であるが、路律子では余りに難読となる為、路津子にしたとの事である。 桜美林大学文学部英文科卒業。在学時は聖歌隊に所属し、英字新聞編集活動にも参加。フランシス・ジェームズ・チャイルドのチャイルド・バラッドについての研究をしている。1970年9月1日、ジョーン・バエズの『シルキー』を歌ってハルミラフォークコンテスト
経歴
続いて『風がはこぶもの』、『一人の手』などのヒット曲を出し、森山良子と並んでカレッジフォークの第一人者として活躍した。『ひとりの手』は、アレックス・コンフォート(英語版)の詩“One Man's Hands”にピート・シーガーがメロディをつけた物で、当時の反戦や人種差別撤廃を訴える歌になっており、日本語の歌詞は本田自身が訳した物。1976年に刊行された日本キリスト教団出版局の『ともにうたおう-新しい讃美歌50曲-』では、末節に讃美歌らしい歌詞が付け加えられ、34番として所収されている。
当時はフォーク界でのジョーン・バエズの影響は大きく、本田もその状況下で活動していたが、普段控えめな彼女が、ジョーン・バエズから受けた影響について聞かれた時に、「いえ、私が尊敬するのは、ジュディ・コリンズです。