この項目では、1986年生まれのサッカー選手について記述しています。その他の同名の人物については「本田圭佑 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
本田 圭佑
2018 FIFAワールドカップでの本田圭佑
名前
愛称ケイスケホンダ
ラテン文字HONDA Keisuke
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1986-06-13) 1986年6月13日(37歳)
出身地
大阪府摂津市[1]EARTH [2]
身長182 cm[1]
体重74 kg[1]
選手情報
ポジションMF / FW[1]
利き足左足
ユース
1994-1998摂津FC
1999-2001ガンバ大阪ジュニアユース
2002-2004星稜高校
クラブ1
年クラブ出場(得点)
2005-2007 名古屋グランパスエイト 90 (11)
2008-2009 VVVフェンロー 68 (24)
2010-2013 CSKAモスクワ 94 (20)
2014-2017 ミラン 81 (9)
2017-2018 パチューカ 29 (10)
2018-2019 メルボルン・ビクトリー 18 (7)
2019 フィテッセ 4 (0)
2020 ボタフォゴ 18 (2)
2021 ネフチ・バクー 7 (2)
2021 スードゥヴァ・マリヤンポレ 6 (1)
通算415 (86)
代表歴2
2002 日本 U-171 (0)
2005 日本 U-201 (0)
2006-2008 日本 U-21/22/2318 (5)
2008-2018[3] 日本98 (37)
監督歴
2018-2023 カンボジア
1. 国内リーグ戦に限る。2021年12月1日現在。
2. 2018年7月3日現在。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj
本田 圭佑(ほんだ けいすけ、1986年6月13日 - )は、日本の実業家、サッカー指導者、解説者、元サッカー選手。ポジションはMF、FW[1]。元日本代表。 アジア(日本)、ヨーロッパ(オランダ・ロシア・イタリア・アゼルバイジャン・リトアニア)、北中米(メキシコ)、オセアニア(オーストラリア)、南米(ブラジル)と6地域中5地域のプロリーグでプレーし得点を決めた。 日本代表時代には日本人初となるW杯3大会連続ゴールを決め(日本人のW杯最年長得点者)、アジア人のW杯最多得点者となり、アジア人初となるW杯3大会連続アシストも達成。ルディ・フェラー、デイビッド・ベッカムらに続くW杯3大会連続となる得点とアシストの両方を記録した史上6人目の選手となった[4][5]。FIFA選出のW杯の「マン・オブ・ザ・マッチ」数において日本人最多の「4回」受賞し、ミロスラフ・クローゼ、エデン・アザール、ハメス・ロドリゲスらと並び受賞総数5位である[6]。 2020年にイギリスメディア『90min』選定の「21世紀の日本代表ベストイレブン」に選出[7]、ドイツメディア『SPOX』選定の「アジア歴代ベストイレブン」に選出[8]、『アジアサッカー連盟(AFC)』『Opta』選定の「W杯アジアベストイレブン」に選出された[9]。 現役選手ながら選手以外の活動も精力的に行い、2012年から自身がプロデュースするサッカースクール・SOLTILO FAMILIAを日本全国で開校[10]。2015年からは複数のプロサッカークラブの実質的なオーナーを務める[11]。2018年よりカンボジア代表のGM・監督に就任し、2023年に退任。 大阪府摂津市出身。両親は本田が小学校2年生の春に離婚、自身は父親に引き取られたが、仕事で忙しかったこともあり、祖父母に育てられていた[12][13]。幼少時は鳥飼さつき園に通園[14]。摂津市立鳥飼北小学校2年時から地元の摂津FCに入団しサッカーを始めた。摂津市立第四中学校に入学。あだ名はゴリ[15]。その後、ガンバ大阪ジュニアユースに所属し家長昭博、安田理大、東口順昭らとともにプレーしたが[15]、当時はスタミナやスピードに難があり、ユースチームへの昇格が見送られた為[16]、石川県の星稜高校へ進学した[17]。1年時に高円宮杯全日本ユース選手権で準優勝し、3年時にはキャプテンとして第83回全国高等学校サッカー選手権大会に出場し、石川県勢として初のベスト4に貢献した[17]。
概要
クラブ経歴
プロ入り前