本棚
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この項目では、書籍などを収納する本棚について説明しています。神奈川県丹沢山地にあるについては「本棚 (丹沢)」をご覧ください。
図書館の本棚。スチール製の本棚が整然と並んだ 図書館の一室。地震時の転倒防止策として本棚同士が上部で連結されている。曲面的な壁に合わせて特注し、職人がひとつひとつ手作りした豪華な本棚(フランス、パリエリゼ宮殿

本棚(ほんだな)とは、冊子本を収納する事を目的としたのこと[1]

物理的な形態の違いなどにより本箱(ほんばこ)、書架(しょか)、書棚(しょだな)、本立(ほんたて)などとも言うが、厳密な区別はあまり無い[2]。本が現代の形態になって以降、本棚とは通常本を下から支えるような構造になっており、本棚自体の終端を除いて横から支える機能は備わっていないものが多い[3]。このため、本棚に倒れないよう本を収納する場合は、倒れる隙間が無くなるまで本を並べるか本が倒れないよう個別に横から支える機能を導入する必要がある[4]。倒れようとする本を底面の摩擦力によって横から押して支える機能に主眼を置いた器具は一般的にブックエンドと称し、1870年代に特許が下りて以降、ブックエンドは一枚のスチール板を型抜きして作られたものが広く一般に普及している[4][5]。机上や別目的の棚上両端にブックエンドを設置した状態もまた、簡易な本棚の一種と言える[6]
構造

一般的な本棚の構造は「モノコック構造」と呼ばれ、側板・棚板・裏板の三種類の要素から構成されている[7]。側板は本棚の両端を構成する2枚の板であり、収納する本の重量を支える支柱として機能する[8]。棚板は実際に本が載せられる水平部分の板を指し本棚の「一段」を構成するが、本を載せない最上の棚板は天板と呼ばれ、他の棚板と区別される場合もある[8]。棚板は固定されている場合と本の大きさによって可変する可動式の場合がある[8]。裏板は本棚の裏側に貼る薄い板で、横からの衝撃を吸収する役割を持つ[8]。側板や棚板は本棚の軽量化を重視し、枠組みに薄い化粧板を貼り付けた太鼓作り(フラッシュ構造)が採用される場合もある[9]。最下段の上げ底部分はハカマと呼ばれ、埃対策などの実用面から採用している本棚も見られる[10]一般家庭向けの小ぶりの本棚

本棚の大きさは様々であるが、高さについては日本の一般家庭に配置されるものとしては2m30cm以下となるよう設計されることが多い[11]。横幅については『清く正しい本棚の作り方』では棚板60cm程度が理想としている[11]。図書館学者のメルヴィル・デューイは沈み込み指数を考慮した理想の長さは40インチ(約100cm)であるとしている[12]。市販されている本棚の奥行きは約30-35cmが一般的である[13]

本棚の素材は合板[14]ベニヤ[15]スチール[16]ステンレス[17]など多岐に渡る。その他、例えばルーン・フィヨルドとロザン・ボッシュが設計したデンマークのイェリング中央図書館の本棚ではリノリウムMDFエポキシ樹脂テキスタイルスポンジなどが素材として使用されている[18]

また、一般的な本棚の既成概念を覆すデザインがなされた本棚も多数存在し、アレックス・ジョンソンは『本棚の本』の中で「現代の本棚は単に本を収納するための家具ではなくなっており、モダン・アートであり、エンジニアリングの実験であり、350年前にサミュエル・ピープスが所持していた本棚のように、ステータス・シンボルとして返り咲いた」と述べている[19]
歴史
本棚の初期6世紀ごろの写本『コデックス・アミアティヌス』に描かれたアルマリウム

ローマ時代は文書は主にパピルス製の巻物に記され、巻子本の形に丸められて保管されていた[20]。高価な巻子本は個別に収納するための筒が付属していたが、通常はカプサと呼ばれる箱にまとめて保管された[21]。書店や図書館などでは壁に棚が設置され、その上に積み並べる状態で保管するのが一般的だった[22]。紀元数世紀ごろには木片を閉じた手写本(コデックス)が登場して、巻子本に取って代わるようになったため、それに合わせて収納方法にも変化が見られるようになった[23]。Shailorはこうした本の形態変化は4世紀ごろであったと述べているが[24]、巻子本からコデックス本へ、形態が変遷する過渡期にあたっては両方が併用されたため、本の収納にはアルマリウム(戸棚[注釈 1])が広く使用された[26]。この時代の本は全て手作りであり、貴重品として取り扱われたため、アルマリウムには鍵や留め金のついたものが多く用いられた[27]。持ち運びが必要な場合にはチェスト(収納箱)が利用された[28]。イングランド西部のヘレフォード大聖堂には1360年ごろに製作されたと見られるブックチェストが現存しているが、蓋部分には形状の異なる三種類の鍵が取り付けられており、本の保管に厳重な管理がなされていた事がうかがえる[29]。装丁が原因でこの時代の本は重ねて保管することに不向きで、留具や突起が棚の中で周囲の本を傷付ける事が問題視されていた[30]
鎖でつながれた本詳細は「鎖付図書」を参照書見台下に設置された鉄棒にチェーンでつながれた本(チェゼーナの図書館)[31]

図書館や修道院など、多数の本を持っていた施設・機関では、貴重品である本を盗難から防止するための仕組みと、一箇所に重ねて保管することによる本の擦傷劣化を防止するための仕組みを考える必要があり、その次善策として本を書見台にチェーンでつなぐ習慣が広まった[32]。こうした習慣は多くの図書館修道院で17世紀末ごろまで継続していた[33]。しかしながら蔵書が増えるに従って、本と書見台を設置するための場所の確保が大きな問題となり[34]、スペースあたりの収納力増大と書見台上で調べものを行うための作業場所確保を目的として書見台の上下に棚が取り付けられるようになった[35]。この変化についてヘンリー・ペトロスキーは現代の本棚につながる進化の第一段階であると述べている[36]。しかし、読書や作業の度に本を上下の棚へ動かすことによって鎖がねじれ、絡まるという新たな問題が発生するようになった[37]。書籍管理の歴史について調査研究を行っていたジョン・ウィリス・クラークは、17世紀ごろからこうした問題を解決するために、ストール・システムと呼ばれる二つの書見台を向き合わせ、その間に書棚を配置するという設計をした調度品が登場したと述べている[38]。キャノン・ストリータはクラークの説に異論を唱え、ストール・システムは書見台とアルマリウムの組み合わせに過ぎず、16世紀には既に見られた形態であったと述べている[39]。登場当初は棚へ平積みされていたが、本の増加に伴い運用が困難になると置き方が縦置きへと変化するようになった[40]。両端に垂直の仕切り、上下に水平棚を持ったストール・システムの登場、本の縦置きが一般化するに従い、収納方式が現代の本棚に近しい形態へと進歩した[39]。なお、この頃の本には全て鎖が付いていたため、これによって本を傷付けないよう背を奥にして収納しており、鎖をつけない個人蔵書においても一般化したと見られている[41]。こうした本を縦置きに並べる方式が一般化するに伴い、それを収納する棚はブック・プレスと呼ばれるようになった[42]。書見台の下のスペースに棚が取り付けられることもあったが、当初は足置き程度の利用しかなされていなかった[42]。しかし、印刷本の普及と蔵書数の増加に伴い、図書館はこのデッドスペースに利用の少ない本を詰めたチェストを保管しはじめ、やがてチェストから出して鎖のついていない本を並べるようになると、机下のスペースも書見台上の棚と代わらない役割を果たすようになった[42]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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