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出典検索?: "本木雅弘"
もとき まさひろ
本木 雅弘
本名内田 雅弘(うちだ まさひろ)
旧姓:本木
生年月日 (1965-12-21) 1965年12月21日(58歳)
出生地埼玉県桶川市(旧・北足立郡桶川町)
国籍 日本
身長174 cm[1]
血液型A型
職業俳優
ジャンルテレビドラマ、映画、CM
活動期間1981年 - 現在
活動内容1982年:シブがき隊としてデビュー
1988年:シブがき隊解散、俳優に転身
配偶者内田也哉子(1995年 - 現在)
著名な家族内田伽羅(長女)
UTA(長男)
玄兎(次男)
内田裕也(岳父)
樹木希林(岳母)
事務所メンズアート
主な作品
テレビドラマ
『2年B組仙八先生』
『恋のパラダイス』
『最高の片想い』
『徳川慶喜』
『幸福の王子』
『87%』
『坂の上の雲』
『運命の人』
『麒麟がくる』映画
『ファンシイダンス』
『遊びの時間は終らない』
『シコふんじゃった。』
『ラストソング』
『RAMPO』
『トキワ荘の青春』
『中国の鳥人』
『双生児』
『スパイ・ゾルゲ』
『夜の上海』
『おくりびと』
『永い言い訳』
受賞
東京国際映画祭
男優賞
1993年『ラストソング』
日本アカデミー賞
最優秀主演男優賞
1992年『シコふんじゃった。』
2008年『おくりびと』
最優秀助演男優賞
2015年『日本のいちばん長い日』
新人俳優賞
1989年『226』『べっぴんの町』
ブルーリボン賞
主演男優賞
1992年『シコふんじゃった。』
2008年『おくりびと』
助演男優賞
2015年『日本のいちばん長い日』『天空の蜂』
その他の賞
日本映画プロフェッショナル大賞
主演男優賞
1991年『遊びの時間は終わらない』毎日映画コンクール
男優主演賞
1998年『中国の鳥人』
2016年『永い言い訳』高崎映画祭
最優秀主演男優賞
1998年『中国の鳥人』キネマ旬報ベスト・テン
主演男優賞
2008年『おくりびと』
助演男優賞
2015年『日本のいちばん長い日』『天空の蜂』アジア・フィルム・アワード
主演男優賞
2008年『おくりびと』新藤兼人賞
プロデューサー賞
2008年『おくりびと』
備考
シブがき隊のメンバー
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本木 雅弘(もとき まさひろ、1965年〈昭和40年〉12月21日 - )は、日本の俳優・司会者・歌手、アイドル。1980年代にはジャニーズ事務所に所属しており、男性アイドルグループシブがき隊のメンバーである。本名:内田 雅弘(うちだ まさひろ)。旧姓:本木。愛称はモッくん、すばる。所属芸能事務所はジャニーズ事務所 → 個人事務所「メンズアート」。埼玉県桶川市(旧・北足立郡桶川町)出身。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
来歴
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1965年、埼玉県桶川市に誕生。実家は15代続く農家。兄と弟の3人兄弟の次男。父が農業高校時代の卒業文集を眺めていてたまたま目に留まった名(雅弘)を命名した。
1981年、TBSドラマ『2年B組仙八先生』でデビュー。他に薬丸裕英、布川敏和、三田寛子も、このドラマでデビューしている。
1982年、アイドルグループ「シブがき隊」のメンバー「モッくん」として、布川敏和(フッくん)・薬丸裕英(ヤッくん)とともに、シングル『NAI・NAI 16』で歌手デビューし、たのきんトリオに続く三人組のトップアイドルに。同期に、小泉今日子・堀ちえみ・松本伊代・早見優・石川秀美・三田寛子・中森明菜・新田純一。
1988年シブがき隊を“解隊”後、俳優活動を開始。翌年、『ファンシイダンス』で役に合わせて坊主頭で挑み、映画初出演ながらシブがき隊のイメージを覆す演技を見せた。俳優として本格的に活動し、映画『シコふんじゃった。』、大河ドラマ『徳川慶喜』など主演した作品がヒットする。
1991年、篠山紀信撮影によるヘアヌード写真集『white room』を出版する。また1992年、ソロとして初出場した第43回NHK紅白歌合戦(曲は井上陽水のカバー「東へ西へ」)で、コンドームを首からぶら下げた衣装や臀部を見せるパフォーマンスをサプライズで行い、物議を醸した。しかし、この演出はエイズ(後天性免疫不全症候群)撲滅のメッセージが込められていたという[2]。
1995年、内田也哉子と結婚。海外の映画賞を取材する番組に、内田が通訳として同行したこともある。彼女が17歳の時にプロポーズした。婿養子[注 1]となり、1997年に長男・雅樂(うた)、1999年に長女・伽羅(きゃら)、2010年に次男・玄兎(げんと)の3児を儲けた。
企画を自ら持ち込み、主役も務めた『おくりびと』が2009年にアカデミー賞外国語映画賞を受賞している。アカデミー賞のレッドカーペットではインタビューに英語で答えた。この映画での活躍等により、2009年3月20日には埼玉県民栄誉章を受章している。 #発売日タイトルカップリング規格規格品番
人物
桶川市立桶川東中学校出身で、俳優の白畑真逸とは同級生である。
浦和学院高等学校1年在学中の途中から明治大学付属中野高等学校の定時制に編入するが、2年の途中で中退した。
岳父はロックミュージシャン内田裕也、丈母は女優の樹木希林。
妻の也哉子との出会いは、本木が内田裕也と映画で共演した際、食事を共にした席に樹木希林が也哉子を同席させた時が初対面であったという。当時15歳であったが独特の雰囲気を醸し出す存在感に惹かれた。その後、スイス留学した也哉子と文通やファックスのやり取りで交流を深めた。帰国した也哉子と食事をした際に将来の姿を思い描き、人生を共に歩むパートナーになりたいと意識したという[3][4]。
長女の内田伽羅は『奇跡』などの映画に子役として出演しているほかモデルとして活動し[5]、また長男の内田雅樂はカリフォルニア州の大学に在学しながら身長190cmの長身を活かしてUTA名義で2018年のパリ・コレクションにてモデルデビュー[6]。
岳父による主催の「ニューイヤーロックフェスティバル」には、直接・間接的に毎年協力してきた。
2012年よりロンドン在住[7]。
ディスコグラフィー「シブがき隊」の作品については「シブがき隊#ディスコグラフィ」を参照
シングル
徳間ジャパン / ジャパンレコーズ
1st1991年6月1日真夏の夜にタンゴジレンマつばめがえし8cmCDTKDA-30320
2nd1992年5月22日東へ西へI'M STANDING BY MYSELF8cmCDTKDA-30537
3rd1992年7月25日最後に涙はみたくないNA-NA-NA8cmCDTKDA-30644
4th1993年8月25日時の神話ELECTRIC KISS8cmCDTKDA-70149
東芝EMI / EASTWORLD