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出典検索?: "本庄道美"
凡例本庄道美
時代江戸時代末期(幕末) - 明治時代初期
生誕文政3年2月17日(1820年3月30日)
死没明治9年(1876年)7月17日
改名藤丸(幼名)、道美
戒名隆徳院広誉賢然明達
墓所東京都浅草の女養寺
官位従五位下、近江守、宮内少輔
幕府江戸幕府 大番頭、二条御定番、
雉子橋御門番
藩美濃国高富藩主
氏族本庄氏
父母父:本庄道貫、母:本庄道昌の娘
兄弟道美、道寛
妻正室:九鬼隆都の娘、継室:藤堂高?の娘
子片桐貞利、道行(三男)、娘(米倉昌言継妻)、久米(本庄寿巨妻)、
養子:寿巨(細川行芬十男)
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本庄 道美(ほんじょう みちよし)は、美濃高富藩の第10代(最後)の藩主。
文政3年(1820年)2月17日、第9代藩主・本庄道貫の長男として生まれる。安政5年(1858年)、父の死去により家督を継ぐ。安政6年(1859年)に大番頭、文久3年(1863年)に二条御定番、慶応3年(1867年)に雉子橋御門番などを歴任した。慶応4年(1868年)の戊辰戦争では新政府に協力した。
明治2年(1869年)6月の版籍奉還で知藩事となり、明治4年(1871年)の廃藩置県で免官された。明治9年(1876年)7月17日に死去した。享年57。三男の道行が病弱であったため、四女の久米を後継者として、婿養子を迎えることにした。
当主
先代:
本庄道貫高富藩本庄家
1858年 - 1876年次代:
本庄久米
表
話
編
歴
本庄氏高富藩10代藩主 (1858年 - 1871年)
本庄道章1705/1709-1725
本庄道矩1725-1745
本庄道倫1745-1756
本庄道堅1756-1760
本庄道信1760-1766
本庄道揚1767-1771
本庄道利1771-1801
本庄道昌1801-1819
本庄道貫1819-1858
本庄道美1858-1871
廃藩置県
更新日時:2021年11月1日(月)12:28
取得日時:2022/01/01 13:56