人口11,400人、面積163.4km²、人口密度69.8人/km²。(2024年5月1日、推計人口)
以下の1町を含む。 1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町に気仙沼市および登米市の一部(津山町各町)、石巻市の一部(北上町十三浜)を加えた区域にあたる。 区分村数村名所属代官区所轄郡奉行
南三陸町(みなみさんりくちょう)
郡域
歴史
古代から近世までの沿革
8世紀以前:海道蝦夷の勢力圏として、律令国家の外にあった。
758年(天平宝字2年): 律令国家の対蝦夷政策の拠点として桃生城築城。後世の本吉郡域は、桃生郡として律令国家に組み込まれてゆく。
811年(弘仁2年)以前:桃生郡北半が分割され、後世の本吉郡北部(現気仙沼市域)を含む気仙郡が成立。
12世紀初頭以前:桃生郡の北部及び気仙郡の南部を合わせ、海上交通の拠点である現南三陸町志津川地区を中心地とする本吉荘(元良荘とも)が成立。当初は摂関家領荘園、のちに後院領(天皇直轄領)荘園となり、金や馬を納めた。年貢運上を請け負った奥州藤原氏の拠点の一つとなり、藤原秀衡の四男本吉冠者高衡の名字の地ともなった。[1]。
1611年(慶長16年):スペインの探検家セバスティアン・ビスカイノが、牡鹿、桃生、本吉、気仙各郡の沿岸を測量。
1646年(正保3年):江戸幕府の鎖国政策のために、仙台藩主伊達忠宗の命により、領内5か所の沿岸監視所の一つとして、歌津村(現南三陸町歌津地区)泊浜に唐船番所が設置される[2][3]。
近代以降の沿革
幕末時点では陸奥国に所属し、全域が仙台藩領であった。「旧高旧領取調帳」に記載されている村は以下の通り。(1郷27村5浜)
北方1郷19村気仙沼本郷、赤岩村、岩尻村、岩月村、歌津村、大島村、唐桑村、小泉村、小原木村、最知村、鹿折村、新城村、月立村、津谷村、長磯村、波路上村、平磯村、馬籠村、松崎村、山田村気仙沼代官所
(気仙沼本郷)奥郡奉行
南方8村5浜北沢村、南沢村、入谷村、折立村、黄牛村、志津川村、水戸辺村、柳津村、荒戸浜、清水浜、十三浜、滝ノ浜、長清水浜横山代官所
(北沢村)中奥郡奉行
明治元年
9月24日(1868年11月8日) - 戊辰戦争で仙台藩主伊達慶邦が薩長軍に降伏し、全領土62万石を没収される。
12月7日(1869年1月19日)
陸奥国が分割され、本郡は陸前国の所属となる。
本吉郡は高崎藩取締地となる。
明治2年
7月20日(1869年8月27日) - 高崎藩取締地に桃生県を設置。
8月13日(1869年9月18日) - 桃生県が石巻県に改称。