末広町_(横浜市鶴見区)
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.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}日本 > 神奈川県 > 横浜市 > 鶴見区 > 末広町

末広町
町丁
海芝浦駅
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度29分20秒 東経139度41分17秒 / 北緯35.488875度 東経139.688067度 / 35.488875; 139.688067
日本
都道府県 神奈川
市町村 横浜市
行政区鶴見区

人口情報(2024年(令和6年)4月30日現在[1]
 人口0 人
 世帯数0 世帯

面積[2]
 2.305 km²
人口密度0 人/km²
設置日1927年昭和2年)4月1日
郵便番号230-0045[3]
市外局番045(横浜MA[4]
ナンバープレート横浜
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末広町(すえひろちょう)は、神奈川県横浜市鶴見区町名[5]。現行行政地名は末広町1丁目及び末広町2丁目(字丁目)。住居表示未実施区域[6]
地理と交通

鶴見区南部の、鶴見川左岸河口付近に位置する。面積は2.305km2[7]JR鶴見線弁天橋駅付近の水路を境に西が1丁目、東が2丁目となる。全域が工場等で占められ、1・2丁目とも人口はゼロである[1]。南は海に面し、東は旭運河を挟み安善町、西は鶴見川を挟み生麦二丁目および大黒町、北は鶴見線を境に小野町弁天町に接する。神奈川県道6号東京大師横浜線(産業道路)には鶴見川を渡る鶴見大橋が架かり、その上部には首都高速神奈川1号横羽線の高架橋が通る。鶴見線には町内に浅野駅新芝浦駅海芝浦駅、弁天町の当町隣接地に弁天橋駅が設けられている。このほか、川崎鶴見臨港バス鶴見駅東口と1丁目南部のふれーゆ、川崎駅東口と2丁目の新芝浦駅近くの東芝京浜を結ぶ路線バスを運行している[8]
歴史と進出企業

1914年?1915年(大正3?4年頃)より、鶴見埋立組合(現在の東亜建設工業)により埋立が始められた土地で、1916年に1丁目の一部、1922年に2丁目に相当する部分が竣工した。1916年10月15日に神奈川県橘樹郡町田村字末広の地名が付けられた。末広の名は、鶴見埋立組合創業者の浅野総一郎家紋から採られた。町田村は1923年4月1日潮田町に改称し、1925年4月1日に鶴見町に編入。1927年昭和2年)4月1日には横浜市に編入、同年10月1日には区制施行により、横浜市鶴見区末広町となる[9]

1916年に浅野造船所(現在のジャパン マリンユナイテッド横浜事業所鶴見工場)と旭硝子(現在のAGC)、1917年に浅野合資会社製鉄部(日本鋼管京浜製鉄所を経て、現在のJFEスチール東日本製鉄所)が操業を始めた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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