未完成作品
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サミュエル・クーパーによる、オリバー・クロムウェルの未完成肖像画

未完成作品(みかんせいさくひん)とは、すなわち完成していない創作作品である。作者が何らかの意図で終わらせないことを選んだものや、作者の死などの不可抗力によって完成できなかったものがある。未完成作品は、完成していたらどうなっていたかという考察の対象になることが多く、また他人が完成させたり遺作として発表されたりすることもある。未完成作品という用語は、いずれ完成されるであろう進行中の作品にも使われるが、制作が終わったにもかかわらず完全な形になっていない「不完全作品」とは区別される。目次

1 総説

2 メディア

2.1 文学

2.1.1 科学・神学・哲学


2.2 絵画・彫刻

2.3 建築・技術

2.4 音楽

2.4.1 クラシック音楽

2.4.2 現代の音源


2.5 映画


3 参考文献

総説

作品が完成しなかった理由には様々なものがある。作者が死亡すると作品製作は通常中断される(とはいえ、健康の衰えに気づいた作者が完成させるためのプロジェクトを企画しているというような場合もある)。役者や肖像画に描かれる人物など、作品に複数の人々が関わる場合はその人物が制作に関われなくなったために中断される場合もある。あまりにも壮大で完成させることができない場合もあれば、他の条件は整っているにもかかわらず作者が気に入らなかったために中断することもある。

有名な作者による未完成作品が、制作が中断された時点の状態で公開されることもあれば、他の作者によってその作品が完成されることもある。ドナテッロのノン・フィニート(en:non finito)の技法のように、未完成のように見えるが実際は完成しているという場合もある。
メディア
文学 フランツ・カフカの未完成稿は、破棄して欲しいという本人の意向に背いて発表された

有名作家も多く未完成作品を遺しており、その作品が未完成のまま、あるいは他人の手で完成されて死後に発表されることがある。

作家が死亡した後、遺された作品を管理するのは遺言執行者の仕事である。未完成の作品をどうするかは、明確な説明がなければ遺言執行者の判断に委ねられることになる。これによって作品がもともと意図されていなかった扱われ方をすることもある。例えばフランツ・カフカの未完成作品が、破棄して欲しいというカフカの意思にもかかわらずマックス・ブロートによって発表されたことがこれにあたる。これらの作品は西洋文学においてひとつの象徴となった[1]。また、ヘミングウェイの未完成小説の一部が死後に発表された際は、議論の的となった。数点の作品が、ヘミングウェイの親類や出版社の判断を仰ぐことなく公表されてしまったというのである。例えば、1968年チャールズ・スクリブナーズ・サンズによってヘミングウェイの遺作『エデンの園』が公開されたが、この版はヘミングウェイの原文に修正は加えなかったとはいえ、原典の草稿を大幅に削ってしまっていた[2] マーク・トウェインは、20年をかけて『不思議な少年』の3つのバージョンを書いているが、いずれも完成させていない。

作者が繰り返し書き直しを続けたために、小説が未完成に終わることもある。素材が充分に揃っている場合、原作者以外の人物が複数の草稿から完成したストーリーを創作し、作品を修正・編集することがある。マーク・トウェインの『不思議な少年』は、20年の間に3つの異なるバージョンで執筆されたが、そのどれも完成していなかった。トウェインの伝記作家・文学者アルバート・ビゲロー・ペインはこれらのストーリーをまとめて、トウェインの死から6年後にペイン版の『不思議な少年』を発表した[3]。同様に、ジョン・ロナルド・ロウエル・トールキンは『シルマリルの物語』を繰り返し書き直したが、ジョンの死亡時点でまとまった決定稿はなく、いくつかの章はきわめて断片的であった。ジョンの息子クリストファ・トールキンはファンタジー作家ガイ・ゲイブリエル・ケイの協力を得て作品の数か所を再構築し、1977年に最終稿を発表することができた[4]。1980年、クリストファは、ジョンの未完成作品のコレクションを、新たに『終わらざりし物語』(Unfinished Tales)のタイトルで公表した。1982年から1996年にかけて、クリストファは12巻の『中つ国の歴史』(en:The History of Middle-earth)を発表した。これは未完成・中途草稿のかなりの部分にあたる。2007年、クリストファはジョンの草稿を元にした『フーリンの子供たち』(en:The Children of Hurin)を発表した。『シルマリルの物語』と同様、クリストファは様々な未完成草稿から『フーリンの子供たち』を編集している。

プロジェクトのサイズが原因となって文学作品が完成しない、という場合もある。ジェフリー・チョーサーは、『カンタベリー物語』元々意図していた膨大な分量まで書ききることができなかった。しかしチョーサーはカンタベリー物語のかなりの部分を生前に書き上げており、またカンタベリー物語は未完成であるにもかかわらず名作として評価されている[5]。イングランドの詩人エドマンド・スペンサーは、作品『妖精の女王』を12巻の作品として計画していた。結局スペンサーの生前に出版されたのは6巻と未完成ではあるのだが、それでもイングランド文学で最長の叙事詩である。[6]オノレ・ド・バルザックは、100編近くの連作小説『人間喜劇』を執筆したが、計画していた残り48編は完成させられなかった[7]

作者が注釈やプロットの大枠を遺していたため、その後に誰かが引き継いで小説もしくは小説集を完成させることができた場合もある。フランク・ハーバートは、デューン世界(en:Dune universe ハーバートの小説「デューン」シリーズの舞台になる世界観)についての膨大なメモを遺しており、これによってフランクの息子のブライアン・ハーバート(en:Brian Herbert)やSF作家ケヴィン・J・アンダースンが「デューン」シリーズの続編を書くことにつながった[8]

作品の中には、それぞれ別々の時期に書かれた複数の章立てで公表されるものもあり、このため作者が続編を書くつもりの作品が完成した作品のように見えるようなケースや、他の作家が、自身の作品が該当作品の一部であるかのように見せようとするケースもある。ジョージ・ゴードン・バイロン物語詩、『ドン・ジュアン』(en:Don Juan (Byron))の最初の4編は1818年から1819年にかけて書かれたものだが、バイロンが1824年に死亡するまでさらに12編が執筆・発表された。様々な出版所から『ドン・ジュアン』の「続編」が出版され、中には物語の出来事の間の物語や、捏造された結末もあった。バイロンの死後第17編が発見されたことから、バイロンは『ドン・ジュアン』を続けるつもりであったことが分かっているが、どのような続編をどのように続けるつもりであったのかは明らかではない。それでも、『ドン・ジュアン』はバイロンの最高傑作の一つとして評価されている[9]チャールズ・ディケンズは、死亡時に月刊で『エドウィン・ドルードの謎』(en:The Mystery of Edwin Drood)を執筆しており、12巻のうち6巻しか完成していなかった。タイトルの通り、エドウィン・ドルードの殺害事件にまつわるストーリーだが、完成しなかったため犯人は明らかになっていない。[10]にもかかわらずこの作品は映画化・ミュージカル化されており、ミュージカルでは観客に対し、誰が犯人か投票してもらうという珍しい試みを行っている[11]

その他、未完成の文学作品には

『ハイペリオン』(ジョン・キーツ

トリストラム・シャンディ』(ローレンス・スターン

『ハーミストンのウエア』(ロバート・ルイス・スティーヴンソン

ブヴァールとペキュシェ』(ギュスターヴ・フローベール

『叶えられた祈り』(トルーマン・カポーティ

ラスト・タイクーン』(F・スコット・フィッツジェラルド

ヘーローとレアンドロス』(クリストファー・マーロウ) - ジョージ・チャップマンによって完成。


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