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この項目では、植物について説明しています。その他の用法については「木 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

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セコイアデンドロンの木リュウケツジュen:Jedediah Smith Redwoods State Park内にあるセコイアの巨木の根元

木(き)とは、

植物の一種を指すための用語。樹(き)、樹木(じゅもく)とも言う[1]。木本(もくほん、植物学用語)ともいう。

用材や材木のこと[2]

「き」「木」や「樹」というのは古代から用いられてきた呼称・概念である。

現代では、「木」は高木低木の総称である[2]とも、木は大きさによって高木(喬木 きょうぼく)と低木(灌木 かんぼく)に区別する[1]とも考えられている。「木・樹」と言って、たちき(立木)を指していることもある[2]。また「木・樹」と言って、特に高木を指す場合もある。

現代の植物学では(素朴な言葉として用いられている「木」という語を避け、学術的な用語を用いる場合)「木本植物」という用語で呼んでおり[1]、これは「草本植物)」と対比する語である[1]

高さは、高いものではたとえばオーストラリア大陸ユーカリの一種、北米大陸セコイアデンドロン(セコイアオスギ)のように130mほどに達するものがあり、小さいものではフッキソウヤブコウジのような例がある[1]高木が集まり森林をつくる

高木が集まってできた植物社会が森林であり、地球の陸地のほぼ半分は森林で占められているものの、近年は伐採(森林破壊)が進行中である[1]。樹木が高い密度で集まっているものを密林、まばらに生育しているものを疎林と呼ぶ。森林による植生地球自然環境を支えているうえ、後述するように人類は木を燃料)や建築材料(木材材木)、食料採取、落ち葉の堆肥利用、観賞(庭園公園盆栽)、さらに防風林防砂林防潮林などとして現代に至るまで利用してきた。自然の植生に頼るだけでなく、植樹植林により有用な樹種を維持・拡大し、育った後に伐採・加工する林業も営んできた。

樹木の生育できる気候において自然状態でまったく樹木が生育しないということは珍しく、何らかの形で樹木は生育している。気候が限界を超えて寒冷な地域(南極大陸など)や乾燥した地域(オアシスを除く砂漠など)、森林限界よりさらに標高が高く単体の木も見られなくなる高山など、樹木は生育できない土地も多い。

ケッペンの気候区分においては乾燥しすぎて樹木が生育しない地帯を乾燥帯、寒冷すぎて樹木が生育しない地帯を寒帯と呼び、樹木の生育する3気候(熱帯温帯冷帯)と区別する。ただし、これはあくまでも降雨量と気温による区分であり、乾燥帯においては外来河川やオアシスなど、降雨によらず水分を得ることのできる地点においては樹木は生育している。また、まれに樹木が発芽し十分に発育して地下の水脈に根を到達させたのちに周囲の気候が乾燥した場合、本来全く樹木が生育できる条件がないのもかかわらず樹木が存在することとなる。こうした例で最も著名なものの一つに、アフリカテネレ砂漠に存在したテネレの木がある。この木は地球上で最も孤立したところに立っていた木として知られ、最も近い別の木から少なくとも200qは離れたところに立っていた。

木は古来、人間の生活・文化と密接な関係があり、洋の東西を問わず祭祀に何らかのかかわりを持っている[1]
学術的な定義を巡って

大多数の専門家が同意するような明瞭な植物学的な定義は提唱されていない。

たとえば『岩波生物学事典』第四版(1403頁)に載る【木本】の項では「およびにおいて肥大成長により多量の木部を形成し、その細胞壁の多くが木化して強固になっている植物。草本と対する」としている。ただし、この定義に厳密に従えば木かどうか迷うパパイヤなどはもちろん、ナスキクなど一般には「」として扱われる多くの植物が木になってしまう。しかも、これらもに固有の性質ではない。ナス科キク科マメ科アブラナ科などには、通常は草として生育しているが、条件がそろえば枯れることなく連続的に生長し、軸を肥大・木化させる種もたくさんある。例えば、ナストウガラシ温帯では草であるが、熱帯亜熱帯では明瞭に灌木に分類される性質を示す。

一般的には顕花植物双子葉植物で木本化するものは樹皮の裏側にある形成層のみが生きており、それの成長に基づき二次成長し肥大するのが木本とされる[3] が、単子葉植物の場合は、成長組織が内に拡散しているので、二次成長があっても、樹皮の裏側だけが成長している訳ではない。例えば、ドラセナの一種のリュウケツジュなどは推定3000年の古木があるが、単子葉植物なので、四季の有る場所で育てても年輪は出来ない。また、双子葉植物のバオバブは気温が常に暖かい場所に自生するが、雨季乾季の成長差で年輪が出来る報告がある。

一方で明瞭な茎の肥大が認められないモウソウチクココヤシなどは、その地上部は強固かつ10mを超える「高木」になるが、木には分類されない。が合わさってできた偽茎が幹の代りになり、丈が高くなるバナナや、根が茎を補強することにより高くなるヘゴなども10メートル近くの「大木」になり、成長に従って「幹」が太くなるが、これらは木には分類されない。造園界樹木学では「特種樹」として扱われている。

他によくされる議論としては以下のようなものがある。年輪ができる植物を木(木本類)、できない植物を草(草本類)と定義する。ところが、「パパイアの木」には年輪ができないので、「草」に分類される。ただし、年輪は、季節による寒暖の変化や、乾燥・湿潤の変化により組織の生長スピードが変化した結果生じるから、明らかに木であっても、連続的に生長する条件(熱帯雨林のように、1年を通じて寒暖などが変化しない環境で生長した場合など)では、年輪はできないか、非常に不明瞭なものとなる[4]

さらに別の見解として、木とは非常に厚くなった細胞質を持つ死んだ細胞により生体が支持されている植物である、とするものがある。細胞が非常に厚い細胞壁を発達させ、死んで生体の支持に使われるようになることを木化、あるいは木質化という。具体的にいうと、いわゆる木材は、主として道管から成り立っているが、この道管は細胞壁が厚くなって、最後には細胞そのものは死んで、残った細胞壁がパイプの形で水をくみ上げる仕事を続けるものである。そのような部分をもつ植物が樹木だ、という判断である。上述のやココヤシなどは、これによれば木と見なされる。

しかし、現実にはほとんどの維管束植物で道管や仮導管の細胞壁は二次壁により肥大するため(つまり程度もの)、なにをもって「非常に厚い細胞壁」とするかは完全に恣意となり、厳密に適用すればほぼ全てが木に分類されてしまう。

上田弘一郎(京都大学名誉教授、「世界の竹博士」)は「竹は木のようで木でなく、草のようで草でなく、竹は竹だ!」と力説していた[5]


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