この項目では、『カエルのぼうけん』の主人公について説明しています。『20世紀少年』の登場人物については「20世紀少年の登場人物」をご覧ください。
ケロヨンとは、劇団木馬座の着ぐるみ人形劇『カエルのぼうけん』、あるいはそれをテレビ化した日本テレビ系『木馬座アワー』の同名コーナーの主人公であるカエルの着ぐるみ。主なスーツアクターは小垣千代(のちに作者藤城清治の妻)や花巻五郎、声優は新井勢津朗。番組や公演により、スーツアクターは変更された。
設定
原作通りカエル屋敷に住むヒキガエルの息子だが、なぜか体は緑色。赤紫・黒・白(近年は紫・紺・白)のボーターラインのTシャツを着用。ブーツとスカーフは赤で、誕生当時のトレンドを反映させている。
性格も明朗快活だが個性的で少々うぬぼれており、羽目を外しておまわりさんに叱られたり、果ては牢屋に入れられたりする辺りはほぼ原作通りだが[1]、友達思いで正義感が強く、何があっても『ケロッ』と立ち直るなど、多くの長所が追加されている。
多趣味だが、特に自動車マニアで、自分で設計したカスタムカーでカーレースに参加するなど、自動車に乗るシーンが多い。これは藤城清治がカーマニアであることを反映している。
「ケ?ロヨ?ン!」「バハハーイ!」が口癖。当時どちらも大流行した。なお、人形劇の開始当初はこの口癖はなかった[2]。
「エルちゃん」というガールフレンドがいるが、原作のキャラクターでなかったこともあってか出番は少なめ。
数多い友達の中でも、大親友のアナグマさん・ネズミくん・モグラのモグちゃんは番組のレギュラーメンバーである(彼らは原作にも登場しているが、ケロヨン同様立場や性格が良くなっている)。また、司会を務める森あき子
1964年に劇団木馬座の着ぐるみ人形劇『カエルのぼうけん』のキャラクターとして誕生した[2]。
藤城のプロデュースによるキャラクター。放送開始当時は「ケロちゃん」という名前だった(“ケロヨン”という呼び方が定着した後も、劇中での愛称は「ケロちゃん」)。
当時としては大人気になり、関連グッズがよく売れ、日本武道館でイベントも開催。「ケロヨーン」「バハハーイ」は流行語になった。一例として、1967年5月に発売されたケロヨンのビニール人形は発売から2カ月で30万個を販売した[4]。「ケロヨン音頭」は「オバQ音頭」と肩を並べる子供向け音頭曲の定番として人気を集めた。1967年には『ケロヨンのぼうけん』、翌1968年には『ケロヨンの大自動車レース』(共に1991年にビデオ化され、1992年にレーザーディスク化、2007年にDVD化された)、1970年には大阪万博のドキュメンタリー『ケロヨン万国博に行く』という映画も製作された。またこの間フジテレビでも、『スター芸能大会→対抗・スターかくし芸』のマスコットとしてレギュラー出演した。
1967年 - 1970年にかけてミュージカル化もされた。2000年には30年ぶりとなるケロヨンのミュージカル『藤城清治メルヘンの世界/等身大ぬいぐるみ人形ミュージカル?ケロヨンのぼうけん』が有楽町のヤクルトホールで上演された。藤城は、ケロヨンの声には拘りがあり、初代声優の新井勢津朗他界後、1990年代後半にミュージカル舞台「秘密の花園」日本青年館や、「不思議の国のアリス」ヤクルトホールなどでカップリング舞台として「ケロヨン」が一時的に復活した際に、小松伸(現、北川伸)がケロヨンの声を担当し、藤城の要望で2000年に復活した舞台「ケロヨンのぼうけん」で正式にケロヨンの声を担当する。
谷口千吉監督による、日本万国博覧会の記録映画『日本万国博』には、ケロヨンを中心とした木馬座のお祭り広場での公演(1970年4月28日?5月5日に催された「こどもまつり」内)の模様が一部、収録されている。その時の演出は花登筐、司会進行は大村崑であった。
昭和50年代に『ケロヨンのスケーティング』という番組が放送されていた。
2014年、冬眠から覚めた設定として藤城清治美術館那須高原のある栃木県のご当地キャラクターとしての活動を開始。「とちぎ未来大使」に任命された[5]。 1966年11月21日 - 1969年9月27日 日本テレビ系 月曜 - 土曜 11:00 - 11:20(再放送:同日 17:30 - 17:50)
関連番組
木馬座アワー
木馬座が自ら全曜日一社提供していた。なお再放送は、当初はノンスポンサーだったが、やがて複数社提供へ変わった(一時的小田急電鉄単独提供の時もあり)。
カラー放送、16ミリフィルムによる収録。
1967年には、朝11時台としては異例の10%以上の視聴率を記録し、占拠率は40%に達した[2]。
カエルのぼうけん