木綿のハンカチーフ
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「木綿のハンカチーフ」
太田裕美シングル
初出アルバム『心が風邪をひいた日
B面揺れる愛情
リリース1975年12月21日
規格シングルレコード
ジャンル歌謡曲アイドル歌謡
ニューミュージック
時間3分47秒
レーベルCBS・ソニー
作詞・作曲松本隆(作詞)
筒美京平(作曲)
ゴールドディスク


ゴールド(有料音楽配信・日本レコード協会[1]

チャート最高順位

週間2位(オリコン

1976年度年間4位(オリコン)

週間1位(ミュージック・ラボ)

太田裕美 シングル 年表

夕焼け
(1975年)木綿のハンカチーフ
(1975年)赤いハイヒール
1976年

収録アルバム『心が風邪をひいた日

木綿のハンカチーフ
(Album Version)
(1)袋小路
(2)


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「木綿のハンカチーフ」(もめんのハンカチーフ)は松本隆作詞筒美京平作曲による日本の歌謡曲で、1975年12月21日CBS・ソニーから発売された太田裕美の4枚目のシングル。翌1976年末、太田が『第27回NHK紅白歌合戦』で初出場を果たした際の披露曲。
解説

本曲はアルバム心が風邪をひいた日』(1975年)のA面冒頭の曲として制作され、収録後「出来が良い」とレコード会社が気に入ってシングルカットが決まった[2]。シングル盤ではリカット・シングルとして新たに録音し直された。松本隆の要請によりアルバムバージョンとは歌詞を一部変更。またアルバムバージョンでは萩田光雄が単独で編曲を担当したが、シングルバージョンでは筒美京平が若干アレンジを加えてストリングス系を中心にアレンジを変更した。

シングルバージョンにはマトリクス番号違い(SOLB-352A1、SOLB-352A2)の2つが存在し、SOLB-352A2がギターの音量の外、ボーカルのエコーやストリングスの残響が強いなどミックスが異なる。なおSOLB-352A2は、ヒット全曲集と書かれた緑色の紙バッグ(CS)に入っているものが多いようで、初期にプレスされたものの中に混ざっているようである。[3]探せば比較的簡単に見つかるのでレア盤とまでは言えない。ちなみに見本盤(白盤)はSOLB-352A1である。[4]後年発売されたコンピレーションアルバム、ベストアルバム等にはすべて、SOLB-352A1のバージョンが収録されている。

この曲ははっぴいえんどから作詞家に転身した松本隆の出世作となった[5]。また、この曲のヒットにより太田の楽曲は以降しばらく松本・筒美のコンビが担当することとなった。次作の「赤いハイヒール」などと共に、本曲は従来のアイドル歌謡とは一線を画す趣向を凝らしており、フォークソング歌謡曲の橋渡しを行なったと位置づけられている[2]。松本にとっても職業作詞家への転換点となった作品だった[2]
歌詞

歌詞は4番まであり、西のとある地方から東京を想起させる都会に出た男性と、故郷に残された女性との遠距離恋愛が破れるまでを、男女の対話形式でストーリー仕立てにしている。男性の旅立ちから始まる1番は広く知られているが、2番では半年後、男性が故郷に帰らなくなり、指輪を代わりに贈る。3番では男性が勤務先で背広姿になっている姿の写真を女性に宛てた手紙に同封して贈り、4番では都会で浮かれた男性が女性を捨て、女性が最後の我儘として涙を拭く「木綿のハンカチーフ」を贈り物に下さいと訴える内容となっている[6]。『第27回NHK紅白歌合戦』では、当時放送時間の制約で原則1曲3分以内だったため原曲よりテンポを速めて演奏され1・3・4番の歌唱となった。

この楽曲が完成するまでには紆余曲折があった。当時の日本歌謡曲では、1人の歌手が男性と女性の言葉を交互に切り替えて歌うという構成は例がなく、新しい日本語ポップスを創造しようという松本の試みとされた[7]。しかし松本の歌詞を見た筒美は「こんな詞じゃ曲を付けられないよ」と言い放った[5]。筒美は「詞が長過ぎる」と松本に対して歌詞を短くすることを望んだが、松本や担当ディレクター兼プロデューサーの白川隆三[8]と連絡が取れず、筒美は仕方なくそのまま歌詞に合わせて曲を作った。これについて松本は、筒美から「曲を付けるのは難しい」と連絡があることを予想していたため、締切当日まで連絡の取れない場所に雲隠れしていたという。しかし実際に作曲に取りかかるとすんなりと進み、筒美は「いやー、いい曲が出来たよ」と喜色満面で提出したという。太田によると、例えば「僕は旅立つ」というフレーズでファルセットになるあたりに、太田の歌唱法の良さを引き出そうとする筒美の工夫が見られるという[2]

松本は、2017年11月18日放送のTBS系『サワコの朝』への出演時に、当時のディレクターの白川隆三から「松本くんの歌はずっと東京で生まれ育った人の歌詞だから、地方の人にはうけない」[6]と指摘されたことを踏まえ、白川をモデルとして歌詞を書いたと述べている[6]NHK BSプレミアム『名盤ドキュメント』で2017年4月26日に放送された『太田裕美「心が風邪をひいた日」木綿のハンカチーフ誕生の秘密』によれば、松本は当時炭鉱町だった福岡県田川市出身の白川から聞いた「炭鉱の閉山もあって大阪や東京へ出て行く人が多かった」という話を参考にしたという[6][9]。なお、松本は東京都港区青山の出身であり、太田も東京生まれの埼玉育ちだったため、曲を受け取って歌詞に妙味を感じたものの何故ここまでヒットしたか当時は釈然とせず、後年に高校生の息子をニューヨークへ留学で送り出した時にようやく遠隔地に住む大事な人を気遣う主人公の気持ちが実感できたという[2]

また松本は、ヒットの最大の要因は「タイトルや歌詞にあえて『コットン』ではなく、当時でさえすでに死語となりつつあった『木綿』という古風な言葉を用いたことにあったのではないか」と語っている[6]

音楽評論家平山雄一は「主人公の大人しく耐えて待つ田舎の女の子には、松本の理想の女性像が反映されているが、それを歌う太田は言いたいことをはっきり言うサバサバした性格で、そうしたキャラクターのギャップが太田の入れ込み過ぎない客観的な歌いぶりにつながり、リスナーに広く受け入れられやすくなった」と論じている[7]
ボブ・ディランの楽曲との類似

歌詞の内容と構成がボブ・ディラン1964年の楽曲「スペイン革のブーツ」に酷似しているとされ[10][11]伊藤強など当時の音楽評論家から「盗作だ」として批判された[10]


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