木田元
[Wikipedia|▼Menu]

木田 元
(きだ げん)生誕 (1928-09-07)
1928年9月7日
日本新潟県新潟市
死没 (2014-08-16) 2014年8月16日(85歳没)
千葉県船橋市
時代20世紀の哲学
21世紀の哲学
地域日本哲学
学派大陸哲学現象学
研究分野現象学形而上学存在論言語哲学哲学史
主な概念反哲学
影響を受けた人物

三宅剛一エドムント・フッサールマルティン・ハイデッガーモーリス・メルロー=ポンティなど

テンプレートを表示

木田 元(きだ げん、1928年9月7日 - 2014年8月16日[1])は、日本の哲学者。専攻は西洋哲学史、現象学研究中央大学名誉教授[2]

モーリス・メルロー=ポンティエドムント・フッサール等の、20世紀ヨーロッパ思想で著名な哲学者の代表作を、平易な日本語に訳した。ハイデガーの研究でも知られる。
経歴

新潟県新潟市生まれ、本籍地山形県最上郡東小国村(現在は最上町)。

3歳のとき一家で満洲新京に渡る。新京第一中学校(戦時体制のため4年で繰り上げ卒業)を経て、1945年昭和20年)海軍兵学校に入学(78期)。同年8月6日江田島で水泳の訓練中、原爆投下広島市側の海岸で目撃[3][4]。8月15日に日本が終戦を迎えると軍海軍兵学校では生徒たちに帰宅の指示が出たが満州出身なので本土にいる親戚もよくわからず困っていたところ、教官が自身の佐賀の実家へ行くよう指示してくれる。教官は兵学校での残務処理に残ったので、木田は佐賀では肩身の狭い思いをしたため、1ヶ月ほどでと東京へむかう。東京の大学へ進学した母校中学校の先輩をあてにするも見からず、上野で野宿をしているところをテキヤに誘われしばらく働きながら、東京にいるはずの親戚について海軍省で調べた。目黒で父親のいとこの夫で海軍大佐を見つける。そして山形県新庄市の父方の遠縁の家に行くよう勧められ、寄留する。なお、この間に敗戦で海軍兵学校が解体され、旧制高等学校への編入資格を得るが、野宿生活のために締め切りを知らず、知っていても家族が全員満洲にいるため学費を捻出できず、手続きをしなかったため、失効する。1945(昭和20年)10月、満洲から家族が引き揚げてきて、母の郷里の山形県鶴岡市に落ち着く。父がシベリアに抑留されたため、長男である木田は、鶴岡市役所臨時雇、小学校代用教員[5]などで家族を養う。

同時に働いていた闇屋で一儲けし、その金をあてにして代用教員を辞め、1947年(昭和22年)4月、新設されたばかりの山形県立農林専門学校(現在の山形大学農学部)に入学した[4]。「人生の中休みだ」と思って入学試験を受け、金が無くなれば学校を辞めようと思っていたが、同年9月に父が帰国したので、自身で生活の心配をする必要がなくなり、卒業まで在籍した。しかし、農業で生計を立てる自信もなく将来への不安がぬぐえず、年中気分が乱高下する毎日を過ごす。

小さな頃から読書が好きで、また当時鶴岡の大地主であったドイツ文学者三井光弥の三男の三井聰と親友であったため三井家の本を読み漁っていた。この頃には哲学書よりも小説や俳諧、中国の詩などを読んでいたが、ドストエフスキーの注釈書として読んだキェルケゴールから哲学の興味を持ち始める。さらに本を読み漁る中で、キェルケゴールから影響を受けたハイデガーの『存在と時間』を本格的に学びたいと思い、東北大学文学部を目指して受験勉強を始めた[5]。東北大を志望した理由は、東北大が当時の国立大学で唯一傍系入学(旧制高校や大学予科以外からの入学)を認め、また入学試験の外国語科目が2言語でなく1言語であったからであった。

1950年(昭和25年)4月、東北大学文学部哲学科@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}(旧制)[要検証ノート]に編入学。大学1年のときドイツ語を学び、秋から『存在と時間』を読み始めて半年かけて読み終えた[5]。しかし、この本を理解するには腰を据えて哲学を学ぶ必要があると感じ、哲学を学び続けることを決心した。当時、哲学を学ぶならフランス哲学ならデカルト、ドイツ哲学ならカントと相場が決まっていたため、卒業論文はカントの『純粋理性批判』で書くことを決め2年生から読み始めた。また、哲学を学ぶためには古典ギリシア語ラテン語は必須だと考えていたため、2年生の4月から6月に古典ギリシア語、3年生の同時期にラテン語を習得[6]した。1953年に学部を卒業して同大学院哲学科特別研究生課程に進み、フランス語を習得。1958年に同大学院修了し、同年から東北大学文学部助手となる。

1960年から中央大学文学部哲学科専任講師。同助教授を経て、1972年から中央大学文学部哲学科教授1999年に定年退職し名誉教授となった。文庫再刊された著書に『哲学と反哲学』、『ハイデガー拾い読み』、『反哲学入門』など、2010年9月に、日本経済新聞私の履歴書」に自伝を連載した。

2013年12月頃から体調が悪化し、2014年7月から入院。同年8月16日、自宅のある船橋市内の病院肺炎のため死去[7][8][9]。85歳没。
評伝

ライフヒストリー研究所編『闇市から来た反-哲学者??木田元論』
晃洋書房〈ライフヒストリー研究叢書〉2009年

『木田元??軽妙洒脱な反哲学』河出書房新社KAWADE道の手帖〉2014年

大塚信一『哲学者・木田元??編集者が見た稀有な軌跡』作品社、2021年(岩波書店での担当者)

著書

『現代哲学??人間存在の探究』
日本放送出版協会〈NHK市民大学叢書〉1969年(講談社学術文庫、1991年)

『現象学』岩波新書、1970年

ハイデガー岩波書店〈20世紀思想家文庫〉1983年(岩波現代文庫、2001年)

メルロ・ポンティの思想』岩波書店、1984年

『哲学と反哲学』岩波書店、1990年(同時代ライブラリー、1996年/岩波現代文庫、2004年)

『ハイデガーの思想』岩波新書、1993年

『反哲学史』講談社、1995年(講談社学術文庫、2000年)

『哲学以外』みすず書房、1997年 - 初のエッセー集

『わたしの哲学入門』新書館、1998年(講談社学術文庫、2014年)

『現象学の思想』ちくま学芸文庫、2000年(文庫版オリジナル)

『最終講義』作品社、2000年(改題『木田元の最終講義??反哲学としての哲学』角川ソフィア文庫、2008年)

『哲学の余白』新書館、2000年


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:30 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef