木炭バス
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宮城(皇居)に入る木炭バス(1941年)

木炭自動車(もくたんじどうしゃ)とは、木炭をエネルギー源とし、車載した木炭ガス発生装置で不完全燃焼により発生する一酸化炭素ガスと同時にわずかに発生する水素合成ガス)とを回収、これを内燃機関の燃料として走る自動車である。

本項では、木炭以外にも同様な固形燃料(石炭コークスなど)を車載ガス発生装置で不完全燃焼させ、発生ガスによって走行する自動車等について包摂的に説明する。目次

1 概要

2 原理と構造

2.1 湿式法での木炭のガス化

2.2 外観

2.3 エンジンの効率

2.4 始動・燃料供給機構の操作

2.5 整備


3 日本における歴史

3.1 現存する木炭自動車


4 日本国外における木炭車

4.1 米国における研究


5 関連図書

6 脚注

7 参考文献

8 関連項目

9 外部リンク

概要

第一次世界大戦中の1910年代から第二次世界大戦終結直後の1940年代にかけ、戦時体制にあって正規の液体燃料(ガソリン軽油など)の供給事情が悪化したイギリスドイツ日本フランスなどの資源に乏しい自動車生産国で広範に用いられたことで知られている。

大日本帝国商工省(当時)では、木炭ガス発生装置を「石油代用燃料使用装置」と呼称しており、それらを搭載した車両の正式名称は「石油代用燃料使用装置設置自動車」であるとされ、略して「代用燃料車」あるいは「代燃車」と言うが、バスの場合は専ら木炭バスや薪バスと呼ばれていた。木炭以外に、石炭無煙炭)を用いる事例もあり、いずれも固形燃料を使用して内燃機関動力用のガスを確保するシステムである。

木炭ガス発生装置は、エンジンが共通であるバスと大型トラックや、出力と装置の搭載に余裕のある、比較的排気量の大きい普通乗用車、普通・小型貨物自動車にも改造の上で搭載された。鉄道車両では、ガソリンカーや小型内燃機関車などにもそのような改造例が見られた。

木炭等のガスは内燃機関の燃料としては低質で、実用上の弊害も多かったため、正規水準のガソリンや天然ガス供給が改善されるに伴い用いられなくなったが、1990年代以降では、環境分野での啓蒙活動の一環や、戦時下の状況を伝え残すために、多分にイベント車両の意味合いで、木炭バス(木炭自動車)を自作・復元する団体も存在する。
原理と構造 右から燃料となる木炭・コークス、不純物除去のためのシュロ・海綿[1]

車載発生炉にくべた木炭不完全燃焼により発生炉ガス (en:Producer gas) と呼ばれる一酸化炭素を主成分とする可燃性のガスが得られる。また木炭を使用する場合、発生炉中に水蒸気を吹き込み一部を水性ガスとして使用したものもあるようである。

発生したガスに含まれるを分離除去してエンジンまで供給する機能を車載用にコンパクトにユニット化したものが、ガス発生装置である。ここから発生した木炭ガスをガソリンエンジン気化器まで導き、途中の管に燃料切替弁[2]を設けて接続した。
湿式法での木炭のガス化

湿式法で木炭や薪は水蒸気によってガス化される。この反応は吸熱反応部分を高温で進行させるために、最低でも900℃が必要とされる。 C + H 2 O ⟶ C O + H 2 {\displaystyle {\rm {C+H_{2}O\longrightarrow CO+H_{2}}}}

ガスの主成分は一酸化炭素、水素、二酸化炭素、窒素、その他で燃料として燃焼するのは一酸化炭素と水素だけで他の成分は燃料としては不純物である。成分の比率は木炭や薪の種類や反応条件といったもので決定される。石炭から精製されるモンドガスなどと比べても一酸化炭素と水素の比率は低く燃料ガスとして低品質である。

プロパンガスのように液化してボンベに詰めることは出来ない、圧縮空気のようにしてボンベに詰めても体積重量比での効率が悪くボンベのコストが高いので木炭ガスは生産されたらすぐにエンジンに送って消費される方式で運用されている。
外観

一般のガソリンエンジンを搭載するバスやトラックを改造して利用したことから、必然的に外観は当時主流であったボンネットバスやトラックと同等で、燃料供給装置として、車両後部や側面に張り出した焼却炉に似たガス発生装置を持つことが特徴である。

ガス発生炉は通常、バスの場合は車体後端にオーバーハング搭載、乗用車は後部オーバーハングに(場合によってはトランクルームを潰して)搭載したが、トラックの場合は貨物積載性を考慮して運転台直後の荷台一隅に積む事例が多かった(これらに隣接して燃料の薪炭を積載する荷台も設けられた)。貨物車両の場合、助手席側からの乗降性を犠牲にして助手席側前輪フェンダーとドアとの間、ステップにかかるように発生炉を積む事例も見られた。極端な事例では、小型車ダットサンの車体前端・ラジエータ前方に小型発生炉2基をハの字型に積んだ例がある。
エンジンの効率 木炭ガス発生装置

既存のガソリンエンジンを流用できることから比較的簡単に改造できたが、木炭ガス発生装置によるガスの熱量が小さいことや、吸気温度が高く充填効率(体積効率)が落ちるなどの問題があり、エンジンの発生出力は極めて低く、上り坂では乗客らが降りて後ろから木炭バスを押すといった光景も見られた[3][4]。おおむね、発進加速時や緩い勾配において、同じ条件のガソリン車より1段低い変速ギアでゆっくりと走らざるを得ず、またそれでさえ出力が足りない実情が多々あった。

効率の低下による性能ダウンは次の事例からも明らかである。鉄道省が1938年-39年に宮崎県省営自動車宮林線のバスに木炭ガス発生炉を搭載して試験したところ、発進から40km/hまでの加速にガソリン車が25秒で到達した(更に35秒時点で50km/hに到達した)のに対し、木炭車は遙かに劣る70秒を要し、40km/hで頭打ちとなった。この間、ガソリン車は15秒・30km/h時点で4段変速機の4速(トップギア)にシフトできたが、木炭車は35秒かけて30km/h到達したところでようやく4速にシフトした。また1/25勾配区間1.55kmの登坂時間比較では、ガソリン車3分18秒、木炭車4分58秒で、急勾配での登坂に対する弱さも露呈している。宮林線平坦区間の宮崎?日向高岡間15.9kmでの路線比較では、無停車運転でガソリン車30分02秒、木炭車33分55秒を要した。同区間で途中14箇所の停留所に止まると、ガソリン車31分23秒、木炭車37分08秒と更に差は開いた。途中停車から再発進まではガソリン車が6秒で済んだのに対し、木炭車は14秒かかり、加速の遅さや速度の頭打ちとも相まって大差になってしまっている[5]

ガス燃料の性質からは、1940年代以前における標準的なガソリンエンジン(圧縮比は高くとも5?6程度)よりも圧縮比を高めることが有利であったが、サイドバルブ式機関ではかえって吸排気面の効率低下を来しやすく、OHVエンジンではバルブ駆動系の改造を伴ってしまい、オクタン価60程度だった当時の低質ガソリンとの併用を念頭に置くと、容易に圧縮比向上は図れなかった。従って木炭・薪ガス燃料車でガス専用設計とするエンジン圧縮比向上が図られた事例は、日本では試験的な事例に留まっている[6]

更に一酸化炭素を主成分とすることから、炉の周囲へのガス漏れなどで、乗務員や乗客の一酸化炭素中毒事故も多発、死者も生じている。

トヨタ博物館1937年型ビュイック


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