木村祐一
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絵本作家の「木村裕一」とは別人です。
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Yuichi Kimura
本名西方祐一(旧姓木村)
ニックネームキム、キム兄、キムキム兄
生年月日 (1963-02-09) 1963年2月9日(61歳)
出身地京都府京都市下京区
血液型AB型
身長168 cm
言語日本語
方言関西弁
京都弁
最終学歴京都市立西京商業高等学校卒業
出身吉本興業の裏方
コンビ名オールディーズ(1986年3月 - 1990年9月)
相方栩野進(コンビ時代)
芸風漫談
事務所吉本興業
活動時期1986年 -
同期東野幸治
リットン調査団
堀部圭亮ほか
現在の代表番組『浜ちゃんが!
チコちゃんに叱られる!
過去の代表番組『ダウンタウン汁
浜ちゃんと!
かざあなダウンタウン
他の活動放送作家NSC講師・料理人俳優
配偶者西方凌
受賞歴
東スポ映画大賞(第16回新人賞)
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木村 祐一(きむら ゆういち、1963年昭和38年〉2月9日 - )は、日本の男性お笑いタレント俳優放送作家冷凍鶏肉愛好家コラムニスト

京都府京都市下京区出身。吉本興業所属。通称「キム兄」。
人物

NSC5期生と同期扱い(デビューは5期生よりも僅かに早い)のため、ダウンタウン今田耕司130Rなど年下の先輩が多い。浜田雅功(ダウンタウン)と初対面の際に浜田から「『木村さん』と呼ばせてください」と言われたが、木村は「後輩だから『さん付け』は止めてくださいよ」と断っている。東野幸治とは正確には東野の方が先輩に当たるが、東野が同期扱いしたことから、木村も東野を同期として扱っている。

ホテルマン、高利貸し絵画商法の販売人、染め物職人を経て、中学の同級生だった栩野進と共に、お笑いコンビ『オールディーズ』を結成。順調に人気を獲得していた矢先の1990年9月7日、栩野が女子中学生と淫行に及ぶ不祥事を起こし逮捕される。これにより、栩野は吉本との専属芸能家契約を解除され、同時にコンビも解散となり、木村は予想もしない形でピン芸人の道を進むことになる。

当時、公私共に行動を共にしていたいわゆる「2丁目軍団」は、リーダー格のダウンタウンをはじめとしてほぼ全員が、NSC(吉本の養成所)出身であるが、その中においては異例の、劇場の裏方(幕引きや進行)出身であり、その仲間外れ感をネタにもしていた。

その後、活動拠点を東京へ移し、主にダウンタウンの番組出演の他、『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ)では第137回(1995年04月23日放送分)より放送作家としてもデビューした。

松本人志(ダウンタウン)に、「俺のために生まれてきたような男」「何回人生やってきたんや」と言わせるほど松本に対してはよく気がまわり、器用で芸人離れした知識と行動力を持つが反面、自分が出来るという自負ゆえか、出来ない後輩には非常に厳しく、後輩からは怖い先輩として恐れられてもいる。だが、時にはズレたところで怒ることがあり苦笑する場合もある、と松本が語った。松本グループでのその母親的な面倒見と気遣い、料理の腕などから今田・東野らからは「松本人志の嫁」、高須光聖からは「松本の第一夫人」とからかわれる。その一方で中山秀征とも交友関係を持っている[1]

「キム兄やん」と呼ばれるようになった由来は、『MBSヤングタウン』(MBSラジオ)のコーナー名で使われていたのをそのまま使われるようになったため。明石家さんま西郷輝彦も「キム兄」と呼ぶ。ダウンタウンら2丁目時代からの先輩・同期からは「キム」、辺見マリは「祐ちゃん」と呼ぶ。

ファッションに関心があり、要らなくなった服は多くの後輩芸人に譲っている。時々、後輩芸人を集めて時間制限つきで選ばせる内輪向けのイベントを開催している。要らなくなった服とはいえセンスの良い服がタダで手に入れられるため、後輩芸人からはそのイベントを「キムコレ」と呼ばれている。しかし松本からは、「私服ダサオや」「東野と2人で服ダサオ・FとAや」と貶されている。

かつては喫煙者だったが、40才の時に禁煙に成功している。

2001年には、板尾創路 (130R) と漫才コンビ「イタキム」を結成してM-1グランプリに出場、準々決勝まで勝ち進んだ。また、2010年3月には約9年ぶりに2人きりの舞台であるトークライブ「ざっぱ」が開催され、木村流のゆるせない話や板尾が最近観た映画の感想など、気の向くままのフリートークが繰り広げられた。この「ざっぱ」は、現在も定期的に下北沢で開催されている。

近年は俳優としても活動し、映画『ゆれる』での検察官役が北野武に評価され、彼が審査委員長を務める東スポ映画大賞、第16回の新人賞に選ばれる。またDoCoMo2.0のCMにも妻夫木聡とともに数本出演している。『ブラックレイン』のオーディションを受けたがすぐに終わり、落選したと語っている(2007年12月13日放送の『ダウンタウンDX』(日本テレビ)より)。

2008年には映画監督にも挑戦し、実際に起きた事件を題材にした『ニセ札』(2009年4月11日公開)を制作した。

2008年6月6日、自身初の飲食店「屋台居酒屋 きむら庵」をサンシャイン栄にて開店。

自身の芸人活動の傍らNSC東京校の講師も務める。

2004年に『マルチなあいつ!』の企画で劇団・ゆきひら鍋という劇団を旗揚げする。劇団員も木村自らが選んだが、劇団員の中には早川伸吾中沢健もっぷんなども所属していた。


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