木村真一郎
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出典検索?: "木村真一郎" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2011年12月)

木村 真一郎(きむら しんいちろう、男性、10月4日 - )は、日本アニメ監督演出家。別名義にきむらしんいちろう、キムラシンイチロウ、常磐鐘鳴、村木一真。愛称はキムシン。広島県出身。
経歴

幼少期は、父親がタンカー船員だった為に家を長く空ける事が多く、母親と共に時代劇ドラマ等を観て過ごす事が多かった。アニメに関しては『タイガーマスク』が印象に残っていると言い、その原作漫画やアニメ雑誌も愛読していた。

教員免許取得を目的として、大阪芸術大学芸術学部美術学科油画コースへ進学。在学中は漫画アニメーション研究会CASに所属し、漫画家・田中政志や、アニメ監督・加戸誉夫らと同期。

大学卒業後、動画スタッフとしてじゃんぐるじむに入社するも、演出業務に興味が移り、程無くスタジオワールドへ制作進行として移籍し、先輩となる小島正幸桜井弘明らの下で演出助手として研鑽も深める。

1990年頃に同社が破産した為、再び制作進行としてマジックバスへ入社し、OVA『破妖の剣 漆黒の魔性』で初演出、18禁OVA『淫獣教師』で初監督を務める[1]

その後、絵コンテ・演出家として実績を積み『BURN-UP EXCESS』でTVシリーズ初監督を務める。監督としての代表作には『HAND MAID メイ』や『ちっちゃな雪使いシュガー』等があり、後者は木村が大きな名声を得る作品となった。
作風

監督としては奇抜な演出を加味する事は少なく、作品の本質を捻じ曲げてまで自分の色を出そうとはせず、与えられた題材を上手く組み立てる事に徹する。大の「メガネッ娘」好きで、この嗜好が昂じて『G-onらいだーす』という「メガネッ娘」ばかりが登場するアニメの監督も務めた[2]。『トム&ジェリー』の様なコメディ・アニメの制作に携わる事を熱望している[1]
作品リスト
監督

淫獣教師(1994年・18禁)※常磐鐘鳴(Tokiwa Kanenari)名義[3]

転校生(1996年-1997年・15禁)※村木一真(Muraki Kazuma)名義[3]

BURN-UP EXCESS(1998年)

ヴァイスクロイツ Verbrehen?Strafe(1999年)

HAND MAID メイ(2000年)[4]

ちっちゃな雪使いシュガー(2001年)

こすぷれCOMPLEX(2002年)

G-onらいだーす(2002年)

機甲兵団 J-PHOENIX PF リップス小隊(2002年・PS2/Xbox用『機甲兵団J-PHOENIX』シリーズ同梱DVD)

ぽぽたん(2003年)

まぶらほ(2003年)

まほらば?Heartful days(2005年)[5]

かりん(2005年)[6]

つよきす Cool×Sweet(2006年)[7]

Venus Versus Virus(2007年)

ネットゴーストPIPOPA(2008年-2009年)[8]

真剣で私に恋しなさい!!(OPアニメーション)(2009年)

ファイト一発! 充電ちゃん!!(2009年)

いっしょにすりーぴんぐ(2010年)

ジュノー(2010年)

いっしょにとれーにんぐ026(2010年)

ショコラの魔法(2011年)[9]

いじめ(『ちゃお』2012年3月号付録DVD収録)[10]

絵コンテ・演出

銀河英雄伝説第2期(1991年-1992年)絵コンテ・演出

破妖の剣(1992年)演出

元気爆発ガンバルガー(1992年)絵コンテ・演出

熱血最強ゴウザウラー(1993年)絵コンテ・演出

バケツでごはん(1996年)絵コンテ

新・天地無用!(1997年)絵コンテ

学級王ヤマザキ(1997年-1998年)絵コンテ

サイレントメビウス(1998年)絵コンテ

Weis kreuz(1998年)ED2演出

快傑蒸気探偵団 TV ANIMATION SERIES(1998年)絵コンテ・演出

ジェネレイターガウル(1998年)演出

超速スピナー(1999年)絵コンテ

デュアル!ぱられルンルン物語(1999年)絵コンテ

地球防衛企業ダイ・ガード(1999年-2000年)絵コンテ・演出

女神候補生(2000年)絵コンテ・演出

ラブひな(2000年)絵コンテ

あぃまぃみぃ!ストロベリー・エッグ(2001年)絵コンテ

爆転シュート ベイブレード(2001年)絵コンテ

テイルズ オブ エターニア THE ANIMATION(2001年)絵コンテ

鋼鉄天使くるみ零(2001年)演出


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