「木村敦」、「木村敦 (俳優)」、あるいは「木村惇」とは別人です。
木村 敦志
名前
愛称
浪速のブッフォン 浪速のあつを
カタカナキムラ アツシ
ラテン文字KIMURA Atsushi
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1984-05-01) 1984年5月1日(40歳)
出身地大阪府茨木市
身長184cm
体重78kg
選手情報
ポジションGK
利き足右足
クラブ1
年クラブ出場(得点)
2003-2014ガンバ大阪 6 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2015年1月11日現在。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj
木村 敦志(きむら あつし、1984年5月1日 - )は、大阪府茨木市出身の元プロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー(GK)。 小学4年生の頃に地元茨木市の太田JFCでサッカーを始める。当時から長身だったため最初からポジションはGKだった[1]。中学時代からガンバ大阪の下部組織でプレーし、2003年にトップチームに昇格[2]。若い頃から各年代の日本代表にも選出され、2001年にはU-17日本代表としてU-17世界選手権、2005年にはU-21日本代表として第33回トゥーロン国際大会に出場した。 G大阪では松代直樹や藤ヶ谷陽介といった先輩GKたちの後塵を拝し、長らく出場機会を得られなかったが、入団7年目の2009年12月29日、天皇杯準決勝・ベガルタ仙台戦で公式戦初出場を果たした[2][3]。このときは第1GKの藤ヶ谷がインフルエンザ、第2GKの松代が怪我を抱えていたことから木村に出番が訪れ、チームは2-1で勝利した[4]。 2010年はAFCチャンピオンズリーグのグループリーグ2試合(第2節・河南建業[5]、第4節・シンガポール・アームド・フォーシズ[6])に出場した。2010年と2011年は藤ヶ谷に次ぐ第2GKとしてリーグ戦全試合にベンチ入りした[7][8]。 2012年は5月2日のAFCチャンピオンズリーグ・浦項スティーラース戦から先発に定着[9]、5月6日のJ1第10節・大宮アルディージャ戦でプロ10年目にしてJリーグ初出場を果たした[2]。その後もミスが目立った藤ヶ谷に代わってゴールを守り続けていたが[10][11]、6月25日の練習中に右腓骨遠位端骨折により戦線離脱[9][10]。10月後半までにはチームに合流し[12]、12月には武田洋平の控えとして天皇杯でベンチ入り[13]。 クラブがJ2に降格した2013年は出番がなく[14][15]、クラブがJ1に復帰した2014年は新加入の東口順昭、河田晃兵に次ぐ第3GKという位置づけで、リーグ戦のベンチ入りは3試合にとどまった[16]。2015年1月、現役引退が発表された[2][17]。 現役引退後は、現役時代の先輩である新井場徹からの依頼を受けて、新井場が代表を務めるFCティアモ枚方のサッカースクールでGKコーチを務めている[18]。引退直後の2015年夏には、正GKのキム・ジンヒョンの負傷でGK陣が手薄になったセレッソ大阪から現役復帰のオファーが届いたことや、オファーを固辞したことが報じられた[19]。 国内大会個人成績
来歴
人物・エピソード
クラブやサポーターからは、その風貌やプレースタイルから「浪速のブッフォン」という愛称で呼ばれた[3]。
同じ誕生日(5月1日)という理由から、当時チームメイトの星原健太との共同ブログを2011年5月に開設。
2013年12月、一般女性との婚約を発表[20]。
公式サイト「おにぎり革命」を開設[21]。既存のJリーガーを越えた取り組みからネット上で「サッカー選手らしくない」と話題になる[22]。
ガンバのサポーターであることを公言しているたむらけんじと親交が深く、「第3回たむけんCUP」(たむらの主催で2015年1月11日にJ-GREEN堺で開かれたアマチュアフットサル大会)が、ゴールキーパーとしての引退試合になった。現役引退後の2015年からは、GKコーチとして活動するかたわら、たむらが経営する炭火焼肉たむらの店舗運営・メニュー開発にも携わっている。木村自身は、「現役時代に(たむらを含めて)多くの経営者と出会ったことで、多くのことを学んだ。自分も、将来は会社の経営を通じて他人を楽しませたいので、(そのための修業の一環として)新井場やたむらの仕事を手伝っている」と語っている[18]。
所属クラブ
ユース経歴
1993年 - 1996年 太田JFC(茨木市立太田小学校)
1997年 - 1999年 ガンバ大阪ジュニアユース(茨木市立太田中学校)
2000年 - 2002年 ガンバ大阪ユース(向陽台高等学校)
プロ経歴
2003年 - 2014年 ガンバ大阪
個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点出場得点出場得点 出場得点
日本リーグ戦 リーグ杯天皇杯期間通算
2003G大阪31J100000000