木村政雄
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大蔵流狂言能楽師の「木村正雄」あるいは本名が「木村政雄」の元プロレスラーの「ラッシャー木村」とは別人です。
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出典検索?: "木村政雄" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2012年8月)

木村 政雄(きむら まさお、1946年5月30日 - )は、日本芸能プロモーター、芸能プロデューサー京都府京都市伏見区出身。

吉本興業にて東京事務所長、制作部長、取締役、常務取締役を歴任した。
来歴

兵庫県立福崎高等学校を経て、1969年3月同志社大学文学部社会学科新聞学専攻卒業。

新聞記者志望だったが新聞社の入社試験に落ち、大学卒業後吉本興業に入社。この時、父親は「お笑いの会社入るとは、罰当たり物やな」と落胆していたという。京都花月担当スタッフを経て、制作部に配属となり横山やすし・西川きよしマネージャーを8年半務め、笑福亭仁鶴花紀京のマネージャーを務めた後、1980年に東京事務所(現在は東京本社)所長に異動となり、部下だった大ア洋と共に漫才ブームを築いた。

1988年大阪本社へ戻って制作部次長に就くと、劇団ふるさときゃらばんとの交流もきっかけとなり、低迷していた吉本新喜劇を再生させる。1994年に取締役制作部長、1997年4月に常務取締役に昇進し、2002年10月に退社。フリーとして「木村政雄の事務所(「の」は鏡文字)」を設立し、独立した。

大阪府堺市顧問、株式会社先駆舎代表取締役主宰、法政大学大学院客員教授、元京都精華大学理事、フリーマガジン5L(ファイブエル)編集長など歴任。

2019年、自身のブログで「木村政雄の事務所」解散を発表。以後、インタビューに応える以外、目立った活動は行っていない。

妻は元タレントの響マミ(「パンチDEデート」のアシスタントで出演した時に知り合った)で、長男と長女がいる。
著書

気がつけば、みんな吉本 全国“吉本化”戦略(1995年、勁文社)2001年に同・文庫

笑いの経済学 吉本興業・感動産業への道(2000年、集英社新書)

吉本興業から学んだ「人間判断力」(2002年、講談社)

五十代からは、捨てて勝つ 自分株式会社をつくろう (2003年、PHP)

人間の賞味期限 こうすれば伸ばせる!(2003年、祥伝社)

35歳革命 仕事のカベにぶつかった時に読む本(2005年、大和書房)

やすし・きよしと過ごした日々 マネージャーが見た波瀾万丈回想記 (2003年、文藝春秋/2005年、文春文庫)

50歳力 不安をワクワクに変える知恵 (2005年、大和書房)

プロに訊け!-明日が見えた瞬間 (2006年、丸善)

客観力-自分の才能をマネジメントする方法 (2008年、祥伝社新書)

自分をリセットしたい時に読む本―もっと前向きに、楽観的になる秘訣(2009年、三笠書房・知的生きかた文庫)

共著


吉本興業vsちゃんと。(
岡田賢一郎との共著、2001年、吉本音楽出版)

「人をつくる」という仕事(テリー伊藤との共著、2003年、青春出版社)

「アホ」になれる人が成功する(中谷彰宏との共著、2000年、ダイヤモンド社)

内田さんに聞いてみた 「正しいオヤジ」になる方法(内田樹との共著、2013年、宝島社)

過去の出演番組

吉田照美のやる気MANMAN!文化放送)※毎週月曜日の「マイクサイドボクシング『俺に言わせろ!』」

ズバリ快答!テレフォン身の上相談TBSラジオ)※毎週金曜日

もっともっと関西NHK大阪放送局)※火曜ゲストコメンテーター

ブロードキャスターTBSテレビ)※ゲストコメンテーター

木村政雄の楽園計画(文化放送)

みのもんたの朝ズバッ!(TBSテレビ)

こんちわコンちゃんお昼ですょ!MBSラジオ)※月1回(現在は終了)

イブニングワイド(TBSテレビ)※火曜ゲストコメンテーター(現在は終了)

開店! ウメ子食堂RKBラジオ)※第1、第3金曜日

エピソード

この節に雑多な内容が羅列されています。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります。(2012年8月)


自称エグゼクティブフリーター。

間寛平が吉本から独立して東京で活躍したいと考えた時に、懸命に説得し慰留させた。寛平本人は吉本の東京事務所があるのを知らなかったという[1]。結局、寛平は東京吉本に移籍し、東京や関西以外の国内外での芸能活動の足がかりを得ることになった。

月亭八方が東京でのレギュラー番組を降ろされ、落ち込んでいた時に「みんなが頑張っとるからこそ、逆にローカルチャンピオンになるべきや。くよくよしたってしゃあない。むしろ、ローカルチャンピオンで頑張ったらええ」と慰めた。八方はこれを機に立ち直った。

吉本在籍時、一時低迷していた吉本新喜劇を再生させ、更にはダウンタウンを一躍全国区にのし上げ、更には劇場の興行システムを改編した反面、会社の方針に従わないベテラン芸人や若手芸人を大胆にリストラしたり、(「吉本新喜劇やめよっカナ?キャンペーン」)を企画、不祥事を起こした芸人に対して厳罰な措置を取るなど、企業人として冷徹な一面を見せている。
特に横山やすしが吉本興業から契約解除(解雇)された時に、やすしへの契約解除通告を行ったのも、当時専務だった林裕章の署名を入れた契約解除通知書を記者会見で読み上げたのも木村本人だった。その時の記者会見で記者達から「堪忍袋の緒が切れたのか?」の問いに「そうですね。我々のフォローもとっくに超えている。これ以上騒ぎを起こされたら、会社の姿勢も疑われますし、責任も問われますから。」とコメントした。
その手法は後に部下の大ア洋に受け継がれた。なお、大アが処置を下した芸人には山本圭壱極楽とんぼ、一旦解雇して後に復帰)、島田紳助(事実上引退)がいる。

2000年3月6日放送の「平成日本のよふけ」(CX)において、やすしを以下のように評している[2]

「川の流れに逆流して、それを生き甲斐にしていたようなとこありますよね。もっと楽な生き方っていっぱいあるんですよ。でも、あえて逆に行くことで、自分が生きているということを確認していたという人です。だから何が起こるかわからない状況ですよね。」


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