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出典検索?: "木村屋總本店"
株式会社木村屋総本店
Kimuraya Sohonten.,Ltd銀座木村家(銀座本店)
種類株式会社
略称キムラヤ、木村家、銀座木村家、木村屋總本店
本社所在地 日本
〒135-0063
東京都江東区有明一丁目6番18号
本店所在地〒104-0061
東京都中央区銀座四丁目5番7号
設立1930年(昭和5年)
業種食料品
法人番号4010001040899
事業内容パン、和菓子、洋菓子の製造および販売
レストラン経営
代表者代表取締役社長 木村光伯
資本金4000万円
売上高100億円
従業員数850名
関係する人物木村安兵衛(創業者)
外部リンクhttps://www.kimuraya-sohonten.co.jp/
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銀座木村家の店内(2008年5月11日撮影)かつて本社事務所が置かれていた西新宿木村屋ビル。売り上げ不振が続いた2010年代に有明に移転[1]
木村屋總本店(きむらやそうほんてん、登記社名: 株式会社木村屋総本店、英: Kimuraya Sohonten.,Ltd.)は、日本の製パン会社である。
本社は東京都江東区有明。中央区銀座にある銀座本店と呼ばれる店は、同じルーツを持つ別会社「銀座木村家」の経営(2009年〈平成21年〉に分離)[2][3]。
概要
明治2年(1869年)創業の老舗パンメーカーである。2018年(平成30年)現在、1日約30万個の袋パンを製造する製パンメーカーであり[4]、その事業構成は、デパートなどで伝統的なあんぱんを中心に販売している「直営店事業」と、袋パンを製造・販売している「スーパー・コンビニ向け事業」に分かれ、後者が売上全体の80%を占める[3]。銀座にある関連会社の株式会社銀座木村家(銀座本店)は、明治時代からの同地に店を構え、7・8階にある工場で焼いたパンを1階で販売するインストアショップ形式をとっている[5]。
1874年(明治7年)には、創業者の木村安兵衛とその次男で2代目の英三郎が、あんぱんを考案し、翌年には明治天皇に献上された(この時に木村屋の特徴でもある桜の塩漬けが、英三郎のアイデアで取り入れられた)。また、1900年(明治33年)には3代目・儀四郎がジャムパンを考案した。これらのパンは現在でも同社で人気の看板商品として親しまれている。
「むしケーキ」とは従来の蒸しパンを改良したもので、これも同社が元祖の商品である。
千葉県柏市の直営所併設工場に加え、東京都江東区の東京工場を合わせた2工場で製造を行っている。
かつて神奈川県綾瀬市にあった「藤沢工場」は、2002年(平成14年)に三芳工場へ統合され、操業を終了した。
その三芳工場も業務を柏工場へ移管し、2021年11月をもって操業を終了した。
首都圏の百貨店を中心とする21ヵ所の直営店舗を運営するほか、コンビニエンスストアやスーパーマーケット等で製品が販売されている。前者の直営店舗で販売される商品には「銀座木村家」、後者で販売される商品には「木村屋總本店」のブランドが使用されている。
カフェ事業として東京麹町に「Don Meister(ドンマイスター)」を、有明に「Don Meister+(プラス)」を展開。
沿革
1869年(明治2年)- 木村安兵衛が東京芝日陰町(現:港区新橋付近)に「文英堂」を開業。
1870年(明治3年)- 京橋区尾張町(現:中央区銀座付近)へ移転、屋号を「木村屋」へ改称する。
1874年(明治7年)- 酒種あんぱんを発売。銀座に移転し木村屋工場創業[6]。
1875年(明治8年)- 明治天皇へ酒種あんぱんを献上、宮中御用商に加わる。
1893年(明治26年)- 静岡・新潟・金沢に直売店を開く[6]。
1897年(明治30年)- 台湾の基隆に進出[6]。
1899年(明治32年)- 京浜地方の菓子店を集結させた近代ビスケット工場「東洋製菓」設立に参加(翌年設立)[6]。
1900年(明治33年)- 東洋製菓のジャムを挟んだビスケットからヒントを得てジャムパンを考案し発売[7]。
1901年(明治34年)- 東洋製菓に倣って機械化を図る[6]。
1902年(明治35年)- 木村屋系統店による木村屋世襲会を結成し、木村屋統一餡として製餡専門工場の根津製餡所へ外注開始[6]。ビスケット製造の木村屋製菓合資会社(代表は木村屋出身の志村吉蔵)設立[6]。
1903年(明治36年)- 第五回内国勧業博覧会を契機に大阪日本橋に進出[6]。
1904年(明治37年)- 日露戦争が始まり、軍用パン製造のため工場増設など事業拡大する[6]。