木村 容堂(きむら ようどう)は、大相撲の行司の名跡のひとつ。 22代木村庄之助が初代木村林之助から改名したのが始まりで、彼が尊敬していた山内容堂から採ったものである。彼が名乗った後は、彼の弟子でのちの30代木村庄之助が2代目を襲名している。2代目が1985年1月場所から2000年1月場所まで15年に渡り番付書きを担当したことから、同じ番付書き担当の縁で2007年11月場所から番付書き担当となった木村恵之助が3代目を襲名した。
発祥
襲名者代々
初代 1936年1月場所?1938年5月場所まで。1939年1月場所、12代木村玉之助を襲名[1]、のちの22代木村庄之助。
2代 初代の弟子。1990年1月場所?2000年11月場所まで。兄弟子の25代式守伊之助(後の28代木村庄之助)の推薦により3代木村林之助から襲名。のちの30代木村庄之助。
3代 2016年5月場所?。2代容堂と同じ番付の書き手である三役格行司木村恵之助が襲名。30代木村庄之助から襲名の打診があり、16年ぶりの襲名を実現した。
関連項目
行司
初代木村容堂
2代木村容堂
3代木村容堂
脚注^ この当時は立行司であった。
表
話
編
現在襲名中の名跡
木村庄之助〔立行司名〕(38代)
木村容堂(3代)
木村庄太郎(15代)
木村銀治郎(3代)
木村要之助(2代)
木村朝之助(4代)
木村光之助(3代)
木村善之輔(5代)
現在襲名されていない名跡
木村玉治郎(6代、2023年)
木村玉光(16代、2015年)
木村正直(4代、2013年)
木村庄三郎(10代、2012年)
木村林之助(4代、2010年)
木村保之助(3代、2006年)
木村庄二郎(6代、1990年)
木村今朝三(2代、1970年)
木村誠道(4代、1963年)
木村庄九郎(9代、1962年)
木村玉之助〔かつての立行司名、のち副立行司名〕(13代、1959年)
木村宗四郎(3代、1959年)
木村重政(1953年)
木村清之助〔かつての大坂相撲の立行司名〕(8代、1942年)
木村喜代治(7代、1936年)
木村庄五郎(4代、1919年)
木村竜五郎(5代、1918年以降)
木村一学(2代)
木村亘り(3代、1898年)
木村多司馬(6代、1887年)
式守家
現在襲名中の名跡
式守勘太夫(12代)
式守錦太夫(12代)
式守鬼一郎(6代)
式守慎之助(5代)
現在襲名されていない名跡
式守伊之助〔立行司名〕(41代、2023年)
式守與之吉(10代、2019年)
式守与太夫(12代、2015年)
式守錦之助(8代、2008年)
式守伊三郎(2代、1987年)
式守卯之助(4代、1874年)
式守見蔵(6代、1872年)
「現在襲名中の名跡」ではカッコ内の代数は現在の代数を示し、「現在襲名されていない名跡」ではカッコ内の代数はこれまでで最後の代数、カッコ内の年はこの年以降襲名されていないことを示す。