木月大町
町丁
法政大学第二中・高等学校
木月大町木月大町の位置
北緯35度34分11.26秒 東経139度39分4.27秒 / 北緯35.5697944度 東経139.6511861度 / 35.5697944; 139.6511861
国 日本
都道府県 神奈川県
市町村 川崎市
区中原区
設置1940年(昭和15年)
面積[1]
? 合計0.203km2
人口(2017年(平成29年)12月31日現在)[2]
? 合計2,672人
? 密度13,000/km2
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号211-0031[3]
市外局番044 (川崎MA)[4]
ナンバープレート川崎
木月大町(きづきおおまち[5])は、神奈川県川崎市中原区の町名。丁目の無い単独町名であり、2004年(平成16年)10月12日に住居表示が実施されている[5]。郵便番号は211-0031[3]。面積は20.3haである[1]。 中原区の南部に所在し、二ヶ領用水の支流である渋川の右岸に位置する。域内の北側を法政大学第二中・高等学校や法政大学のグラウンドが占めており、南側には高層マンションが立ち並んでいる[6]。 木月大町は北端で今井西町
目次
1 地理
2 歴史
2.1 沿革
3 世帯数と人口
4 小・中学校の学区
5 施設
6 脚注
地理
歴史「木月 (川崎市)#歴史」も参照
当地は、江戸時代には「深町」や「大沼」と呼ばれる地で、その名の通り低湿地の水田となっていた[6]。1940年(昭和15年)、耕地整理により木月大町が木月から分立したが、その少し前に法政大学予科が設置され、北側の水田は埋められていった。そして、残った水田も昭和30年代には住宅地へと変貌した[6]。なお、設置時には「きづきだいまち」という読みであったが、住居表示の実施に合わせて、それまで通称として使われていた[7]「きづきおおまち」を正式な読みとした[8]。 2017年(平成29年)12月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。 町丁世帯数人口 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[10][11]。 番地小学校中学校 [ヘルプ]
沿革
1936年(昭和11年) - 法政大学予科が設置される[6]。
1940年(昭和15年) - 耕地整理により、木月から木月大町(きづきだいまち)として分立[9]。
1950年(昭和25年) - 法政大学短期大学部が設置される(1985年閉学)。
1972年(昭和47年) - 川崎市が政令指定都市に移行。当地は中原区木月大町となる。
2004年(平成16年) - 住居表示が実施される。同時に、読みを「きづきおおまち」に変更。
世帯数と人口
木月大町1,438世帯2,672人
小・中学校の学区
全域川崎市立住吉小学校川崎市立今井中学校
施設
法政大学第二中・高等学校 - かつては大学予科や短期大学部も所在した。
法政大学グラウンド - 法政大学野球部も使用している。
川崎木月大町郵便局(読みは「きづきだいまち」・2019年3月8日から一時休止中)
脚注
^ a b “ ⇒町丁別面積(総務省統計局「地図で見る統計(統計GIS)」の数値)”. 川崎市 (2015年10月26日). 2018年2月15日閲覧。
^ a b “ ⇒町丁別世帯数・人口”. 川崎市 (2018年1月25日). 2018年2月15日閲覧。
^ a b “ ⇒郵便番号”. 日本郵便. 2018年2月15日閲覧。
^ “ ⇒市外局番の一覧”. 総務省. 2018年2月15日閲覧。
^ a b “ ⇒区別町名一覧表”. 川崎市. 2018年2月15日閲覧。
^ a b c d 『川崎の町名』日本地名研究所、川崎市、1991年、141頁。
^ 『川崎地名辞典』日本地名研究所、川崎市、2004年、227頁。
^ 新しい住居表示のお知らせ(住居表示施行に伴うパンフレット) 川崎市、2004年。
^ 『川崎地名辞典』日本地名研究所、川崎市、2004年、225頁。
^ “ ⇒川崎市立小学校の通学区域”. 川崎市 (2015年4月1日). 2018年2月15日閲覧。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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