木曽駒ケ岳
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木曽駒ヶ岳
空木岳より望む木曽駒ヶ岳(奥)
標高2,955.95[1] m
所在地長野県木曽郡上松町木曽町
上伊那郡宮田村
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度47分22秒 東経137度48分16秒 / 北緯35.78944度 東経137.80444度 / 35.78944; 137.80444[2]
山系木曽山脈中央アルプス
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北緯35度47分22秒 東経137度48分16秒 / 北緯35.78944度 東経137.80444度 / 35.78944; 137.80444 (木曽駒ヶ岳)

木曽駒ヶ岳 - 地理院地図

木曽駒ヶ岳 - Google マップ

OpenStreetMap
プロジェクト 山
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オープンストリートマップに木曽駒ヶ岳の地図があります。

木曽駒ヶ岳(きそこまがたけ)は長野県上松町木曽町宮田村の境界にそびえる標高2,956mで、木曽山脈(中央アルプス)の最高峰。日本百名山[3]新日本百名山[4]花の百名山[5]に選定されている。木曾駒ヶ岳とも表記され、また略して木曽駒と呼ばれる事もある。目次

1 概要

2 環境

2.1 地形

2.2 動植物


3 人間が係わる歴史

4 駒ヶ岳ロープウェイ

5 登山

5.1 登山道

5.2 周辺の山小屋


6 地理

6.1 周辺の主な山

6.2 主な山との位置関係

6.3 源流の河川

6.4 交通アクセス


7 木曽駒ヶ岳の風景

8 関連するメディア

8.1 映画

8.2 テレビ番組

8.3 漫画

8.4 書籍


9 脚注

10 関連項目

11 外部リンク

概要

駒ヶ岳の名を冠する山は日本の全国に多数あり、その最高峰である南アルプス甲斐駒ヶ岳とこの木曽駒ヶ岳に挟まれる伊那谷では、この山を西駒ヶ岳または西駒、甲斐駒ヶ岳を東駒ヶ岳または東駒と呼ぶこともある。木曽前岳 (2,826m)、中岳 (2,925m)、伊那前岳 (2,883m)、宝剣岳 (2,931m) を含めて木曽駒ヶ岳と総称する場合もあるが、一般的ではない。

木曽駒ヶ岳には、雪解けの時期にはいくつかの雪形が見られ、昔から農業の目安にされてきた。中岳には山名の元にもなった駒(馬)、極楽平の南には島田娘と種蒔き爺などが現れる。
環境
地形

木曽谷と伊那谷に挟まれた中央アルプスは、長野県塩尻市から南南西恵那山方面へと伸びる、細長い急峻な山脈であり、木曽駒ヶ岳はその北部に位置する。標高2,600m付近の濃ガ池(のうがいけ)、千畳敷カール及び極楽平では、氷河圏谷が発達している。駒飼ノ池などでは、氷河底湖が見られる。南東にある鋭い穂先の岩山である宝剣岳とは対照的に、木曽駒ヶ岳はなだらかな女性的な山容となっている。このため、南アルプス方面から眺めた場合には、木曽駒ヶ岳よりもむしろ鋭く尖った宝剣岳の山容が目立っている。山体の大部分が約6500万年前の花崗閃緑岩から成る。
動植物 固有種のヒメウスユキソウ

標高1,700から2,600mは、コメツガシラビソなどの針葉樹林帯が広がっており、2,600m付近にはダケカンバ、さらに上部は森林限界ハイマツ帯となっている[6]

千畳敷カール、濃ガ池カールには、高山植物の花畑が広がっている。山頂付近には、セイヨウウスユキソウ(別名エーデルワイス)の仲間で木曽駒ヶ岳の固有種であるキク科ヒメウスユキソウ(別名がコマウスユキソウ)が自生している。宮田村の特別シンボルに指定されている。環境省と長野県のレッドリストの絶滅危惧I A類 (CR) の種に指定されている[7]。また中岳付近では、イワギキョウチングルマミヤマキンバイなどが自生している。天狗山荘近くには、コマクサ園がある。亜高山帯から高山帯にかけては、ニホンカモシカノウサギキツネイワヒバリなどが生息している。1961年(昭和36年)頃まで、南側の檜尾岳、空木岳などで見られたライチョウは、その後確認されていない[8]
人間が係わる歴史


山頂の東側(伊那側・宮田村)にある伊那駒ヶ岳神社山頂の西側(木曽側・木曽町)にある木曽駒ヶ岳神社


1338年(暦応元年):高遠家親が山道を開設し、八社の大神を祭った。

1532年(天文元年):上松町の神官の徳原長大夫春安が頂上に駒ヶ岳神社(保食大神)を建造した。江戸時代には、木曽側の上松町から信仰目的で盛んに登られている。現在も登山道にはその建造物が多く残り、頂上には木曽側と伊那側にそれぞれの駒ヶ岳神社がある。

1784年(天明4年)7月:坂本天山ら総勢114人が宮田口から登頂し、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}伊那前岳の勅銘石(ろくめいせき)に漢詩を刻印し現存している。[要出典]

1891年(明治24年):イギリス人のウォルター・ウェストンが、上松側から登頂して伊那側へ下った[9]


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