木更津港
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木更津港
Kisarazu Port
木更津港周辺
所在地
日本
所在地千葉県木更津市君津市富津市
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度22分43秒 東経139度53分57秒 / 北緯35.37861度 東経139.89917度 / 35.37861; 139.89917座標: 北緯35度22分43秒 東経139度53分57秒 / 北緯35.37861度 東経139.89917度 / 35.37861; 139.89917
詳細
開港1968年(昭和43年)4月
管理者千葉県
種類重要港湾
面積約7,300 ha
LOCODEJP_KZU
統計
統計年度2015年度(参考)
発着数1万7621隻(入港数のみ)
貨物取扱量約7000万 t
この表についてこの表はテンプレートを用いて表示しています。編集の仕方はTemplate:Infobox 港をごらんください。

木更津港(きさらづこう)は、千葉県木更津市および君津市富津市に跨る港湾法上の重要港湾重点港湾)である。港則法上の特定港に指定されており、日本三大港湾国際バルク戦略港湾、総合静脈物流拠点港に含まれる。港湾管理者は千葉県。

近年では京葉工業地帯の一翼を担う工業港に限らず、みなとオアシス木更津として港一帯をみなとオアシスに登録し、マリーナ旅客ターミナルおよび交流拠点施設として「きさらづ海の駅」及び木更津マリーナが整備された。大型クルーズ船ぱしふぃっくびいなす」の入港を期にクルーズ・オブ・ザ・イヤー特別賞を受賞した。港の玄関口に浮かぶ中の島に架かる中の島大橋は恋人の聖地に指定されており、親水空間とともに本港の良好な視点場となっている。 中の島大橋より望む、木更津港の全景
概要江川海岸から見た木更津港の工場夜景

東京港の東岸のほぼ中央に位置し、古くから物資の集散港として栄えてきた。京葉工業地帯の一翼を担う工業港として、重点整備が進められ、臨海部に立地する鉄鋼業などに関連した外貿貨物や、砂・砂利などの内貿貨物を中心に取扱っている。日本三大港湾の一つとして千葉県南部地域における経済社会の基盤および横浜港川崎港横須賀港東京港千葉港とともに首都圏の発展に重要な役割を果たしている。港湾管理者は千葉県。国連欧州経済委員会(UNECE)が制定している海港コード(UN/LOCODE)は「JP_KZU」[1][2]

港湾区域としては、木更津市君津市富津市の3市にわたり、背後地には、各都市の市街地が所在し、これら3市の人口は合わせて約27万人を数え、海岸延長は28.447 kmにおよぶ。2014年(平成26年)1月15日の港湾法の改正により東京湾の開発保全航路が拡大したことに伴い、水域面積は約7,300 haとなる。

1960年代からは京葉工業地帯の発展に伴い工業港として開発が進められ、工業用地などの造成、外内貿埠頭の整備が逐次進められており、1968年(昭和43年)には間税法の「開港」および重要港湾の指定を受ける。更に重要港湾の中でも重点的に投資する「選択と集中」を港湾政策にも徹底するという目的で重点港湾の指定を受ける。鉄鋼業の国際競争力強化を図るため、2011年(平成23年)5月31日に国土交通省から国際バルク戦略港湾に選定され、主に鉄鉱石の輸入を目的とし、VLOC級(大型の鉱石船、ばら積み貨物船)が入港できるよう、岸壁泊地航路などの港湾機能を有する拠点港としての整備が行われた[3]1975年(昭和50年)に完成した中の島大橋は日本一高い歩道橋であり、恋人の聖地に指定されている。鳥居崎海浜公園と木更津港に浮かぶ中の島とを結ぶ歩道橋であり、木更津港の玄関口にあたり、木更津港から東京湾へ出入りする船舶はこの橋の下をくぐることになる。

江川海岸からは木更津港(富津火力発電所方面)の工場夜景を見ることができる。自衛隊記念日行事である観艦式には停泊地である本港に、試験艦「あすか」、護衛艦「ちょうかい」、護衛艦「こんごう」など艦艇の一般公開、停泊港では電灯艦飾なども行われる。
港の区分

港内は、江川地区・吾妻地区(内港)、木更津南部地区・君津地区・富津地区の5地区に分けられている。

木更津港湾範囲には漁港や釣り場として指定若しくは呼称されている港もあり混同しやすい。農林水産省水産庁による港湾範囲において漁港に指定されている港は牛込魚港、金田魚港(見立港)、小糸川魚港第1種漁港に指定されており、富津漁港(富津北港)が第2種漁港に指定されている[4]。釣り場としては畔戸港・呑堀港(木更津市)、富津新港(富津市)[5] などが一般呼称されている。
吾妻・江川地区

木更津港の内港であり、木更津港の拠点地区。八幡製鐵所(現:日本製鉄)の進出や木更津南部地区の整備により、木更津港は現在の港勢となった。

1965年(昭和40年)より木更津港 - 川崎港間に就航していたフェリーは1997年(平成9年)12月の東京湾アクアラインの開通に伴い廃止となった。市街地に近い地理的有利性を活かして、親水空間の整備を積極的に行っている。
木更津南部地区

木更津南部地区は約460 haの面積があり、混雑している内港の再開発と一体となって整備を進めている地区。

水深4.0 m物揚場および水深5.5 m 岸壁4バース、水深7.5 m 岸壁2バース、水深4.5 m 岸壁4バースを供用中であり、山砂の積出基地として利用されている。さらに、外貿機能強化として2バース目の水深12 m 岸壁260 mを平成20年に供用開始。
君津・富津地区

富津地区は電力金属製品一般機械器具製造業などの立地が計画されている。地区内にはJERA富津火力発電所が稼働しておりエネルギー供給基地としても重要な役割を果たしている。火力発電所としては国内第3位の総出力であり、世界でも最大級の火力発電所である。

当地区に立地する企業群の利用のため水深5.5 m 岸壁4バース、水深7.5 m 岸壁2バースが整備されている。そのうち1バースは耐震バースとなっている。

船舶修繕・小型船建造を行うアイ・エス・ビー造船所が設けられている。
歴史
江戸時代
木更津船と海上輸送葛飾北斎画『富嶽三十六景』より「上總ノ海路」

木更津の「津」が「船着場」を意味する言葉であることからもわかるように、木更津港は古くから開けた港であった。中世には房総から鎌倉に上る渡船場として栄える[6]江戸時代に入ると徳川家康から、1614年(慶長19年)大坂の陣で活躍した木更津の水夫への報奨として、江戸・木更津間での渡船営業権などの特権が与えられた。これにより江戸との往来が頻繁となり、木更津が上総・安房の海上輸送の玄関口として繁栄していった。海上輸送が発達した江戸時代には主に東京湾内の輸送に五大力船(長さ31尺(約9.4 m)から65尺(約19.7 m)ほどの小型廻船)が活躍し、武蔵伊豆相模安房上総下総海辺で穀類や薪炭などの運送に用いられる他、人を乗せて旅客輸送も行っていた。


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