この項目では、木材加工について説明しています。中世日本の建築職人である木工(もく)については「番匠」をご覧ください。
繊細な彫刻入りの木工
木工(もっこう)とは、木材に加工を施す作業または製作技能、あるいはその職人であり、家具製作(キャビネットおよび家具)、木彫、指物、大工、木工挽物
(英語版)が含まれる。工作、美術、家具製作などの領域をはじめ、建築や土木などの領域でも、木材を加工することを広くこう呼ぶ。現場によっては「大工仕事」などと呼ばれることもある。
木工を行う職人や職業の代表格としては、大工、家具職人などが挙げられる。「木工家」という呼称も存在する。
歴史古代エジプトの木工1568年のドイツの木工店、手前の職人が弓鋸(英語版)を、奥では鉋を使う。19世紀の、マシュラビーヤ(透かし彫り窓)用の木挽き(英語版)加工をする象嵌木工と水パイプ日本の木工・木彫職人。大正初期
木材は、岩石、粘土および動物の部位とともに、ヒトが最初に使った材料のひとつである。ムスティエ文化でネアンデルタール人が使った石器の石質分析(英語版)は、多くが木材の作業に使われたことを示す。文明の発展は、これらの材料を使う能力の急速な発展と強く結びついている。
初期に発見された木の道具には、カランボ滝 、クラクトン・オン・シー(英語版)、レリンゲンの棒がある。シェーニンゲンの槍(英語版)(ドイツ)は、木製狩猟道具の最初の例である。彫刻にはフリントの道具が使われた。新石器時代以降、彫刻入り木製容器は、例えばKuckhofenとツヴェンカウ(英語版)での線帯文土器文化の井戸で使われた。
青銅器時代の木彫の例には、北ドイツをデンマークの樹幹から作った棺、および木製折り畳み椅子があった。ドイツのフェルバッハ・シュミーデン遺跡には鉄器時代の木彫りの動物の好例がある。ラ・テーヌ文化時代の木製偶像は、フランスセーヌ川源流の保護区域で知られている。 古代エジプトには高度な木工を示す重要な証拠がある[1]。現存する多数のエジプトの絵画で木工が描かれており、多数の古代エジプトの家具(スツール、椅子、テーブル、ベッド、櫃)が保存されている。墓にはこれらのアーティファクトがあり、墓で発見された棺もまた木製である。木工の道具としてでエジプト民族が使用した金属は、当初は銅で紀元前2000年以降は青銅が使われ、かなり後に鉄精錬
古代エジプト
木工に通常使われた道具は、斧、釿、鑿、鋸、弓錐がある。ほぞ継ぎはエジプト先王朝時代初期からの使用が裏付けられている。これらの継手は掛け釘、突合せ継手(英語版)、皮革や縄での固縛で補強されていた。膠はエジプト新王国の時代でのみ使われるようになった[3]。古代エジプト民族は単板(英語版)および仕上げ(英語版)のためのワニスの技術を発明したが、ワニスの成分知識はなかった。様々な天然アカシアや、シカモア、ギョリュウの原木が使われたが、ナイル川流域の森林破壊の結果、レバノンスギやアレッポマツ、ツゲ、およびオークの植林がエジプト第2王朝から必要となった[4]。 木工はローマ人にとって非常に重要であった。これにより、場合によりこれだけを材料に、建物、運搬、道具、および家財道具が作られた。木はまたパイプ、染料、防水材料、および燃料にもなった[5]:1。しかしローマの木工の例はほとんど失われ[5]:2、文学的な記録により現在の知識の多くが保持された。ウィトルウィウス著『建築十書 (De architectura 中国の木工の創始者は魯班と妻の雲氏夫人で、春秋時代(紀元前771年から476年)と考えられている。魯班は鉋と墨線や他の道具を中国にもたらしたといわれている。彼の教えは『魯班經』(魯班の写本)に残されたとされている。それでありながら、この書は彼の死の1500年後に書かれたと信じられている。
古代ローマ
古代中国